木付優衣は三姉妹の長女として生まれた。生まれは山口県だが、小学3年まで育ったのは広島県だった。いつも外で遊ぶ活発な少女で、本人曰く「男勝りな性格」だという。父・宏一によれば、「大の負けず嫌い」の彼女とサッカーとの出合いとは――。

愛媛新聞社

 

 

 

 

 父・宏一は幼少期をこう述懐する。

「目を離しても勝手に遊んでいる。でも外で夜遅くまで帰ってこないなど、人に迷惑をかけることはなかったですね。あとは負けず嫌い。徒競走で負けると大泣きしていました。小学校低学年の時のマラソン大会ではいつも最初から先頭を走っていましたね」

 

 運動神経には自信があった。木付は小学1年までは水泳に夢中になっていた。「北島康介さんになることが目標でした。オリンピックでメダルを獲りたかった」。アテネ五輪で平泳ぎ2冠を達成する前の頃である。彼女も平泳ぎで“1番になる”との野望を抱いていたのだ。

 

 そんな木付がサッカーを始めたのは、小学2年からだった。仲の良かった友人たちが、こぞって地元の少年団でサッカーを始めたからである。チームの練習は主に週1回。彼女は「“土曜日に遊ぶ人がおらんくなる”と思ったんです。友達からも誘われたので、少年団に入りました」と振り返る。木付は男女混合チームでプレーした。

 

 いつも先頭ばかりを目指して走っていた彼女が、最後尾に陣取るゴールキーパー(GK)になったのは、2年の途中からだった。ある日、GKの子と変わってみると、レギュラークラスの選手のシュートをバンバン止めまくったからである。ドッジボールを得意としていたこともあり、ボールへの恐怖心も少なかったのだろう。「それで調子に乗って始めちゃったんです。褒められるのは照れ臭いけど、うれしかった」。果たしてGKの魅力にハマッていったのだった。フィールドプレーヤーとの兼任で、GKをやることになった。

 

 大会で大敗し、泣きながらゴールマウスを守ったことあったという。“なんで捕れんの?”と号泣しながら、何度もゴールネットを揺らされた。大の負けず嫌いの彼女だが、これでGKへの道を諦めることはなかった。大会ではチームの監督が“優秀選手賞”に彼女を選んだ。

 

「チーム内の優秀選手に選んでもらったことがうれしくて、引っ越した先でも『私はGKをやっていました』と言い張っていました」

 木付は広島から愛媛に引っ越ししても、サッカーを続けた。専用グローブ購入し、軸足をGKにより重きを置いた。

 

 親元を離れ、兵庫へ

 

 一本気な性格の木付だが、その後のサッカー人生はGK一筋というわけではなかった。足が速かったので、フィールドプレーヤー、攻撃的なポジションへの“転職”を希望した時期もあった。「“点を決める方が楽しい”と思ったんです」。チームを移籍するなどしたが、結局はGKというポジションで評価され、芽を出していった。

 

「『スーパー少女プロジェクト』やトレセンにも呼ばれ出していたので、“自分はGKの方がいいのかな”と思うようになりました」

 スーパー少女プロジェクトとは、日本サッカー協会が将来の日本代表GK発掘・育成を目的とするプロジェクトだ。現在も女子GKキャンプという名称で継続して実施されている。GKとして高い評価を得たことで、木付は守護神への道に進むことを選択した。

 

 中学からはGK一筋。松山南中学に進学し、地元のクラブチームAC MIKANに所属した。愛媛FCジュニアユースの練習生として、平日はトレーニングに参加し、鍛錬を積んだ。AC MIKANで全国大会を経験したのは1年時のみ。第14回全日本女子ユース(U-15)選手権サッカー大会の愛媛県大会、四国大会で勝ち上がり、全国大会の出場を決めた。しかしグループリーグで3戦全敗を喫し、決勝トーナメントには進めなかった。

 

 チームは大きくステップアップできなかったが、個人としては依然として高い評価を受けていた。中学3年時にはU-16女子日本代表に呼ばれ、日中韓国際サッカー大会に出場した。木付は優勝のかかった試合のPK戦で大活躍。その後の合宿には参加したものの、U-17W杯予選を兼ねたU-16アジア選手権での代表入りは叶わなかったのだ。

 

「もちろん悔しかったです。“もっと頑張ろう”と思いました」

 木付は当時の自分を「プライドが高かったんだと思います」と自省する。彼女は更に上を目指すため、環境を変える決意をした。

 

 中学卒業後は親元を離れ、兵庫へ向かった。進学先を姫路市の日ノ本学園高校に選んだからだ。全日本高等学校女子サッカー選手権大会での優勝経験がある強豪校で、寮生活を始めるのだった。

 

(第3回につづく)

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木付優衣(きつき・ゆい)プロフィール>

1996年4月11日、愛媛県松山市出身。小学2年でサッカーを始める。中学からはAC MIKANでプレー。全国大会出場も経験した。兵庫の日ノ本学園進学後は、2年連続2冠を成し遂げた。高校卒業後は早稲田大学に進み、なでしこリーグのジェフユナイテッド千葉・市原レディースに入団。大学2年からは早大ア式蹴球部女子部に移籍し、主力として活躍。正GKとして全国大学女子サッカー選手権大会3連覇達成に貢献している。3年時にはユニバーシアード競技大会で日本代表に選ばれ、銀メダルを獲得した。身長164cm。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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