いろいろなことがあった18年が終わろうとしている。あとになって振り返ってみれば、日本が初めてW杯への出場を決めた97年に匹敵する、エポックメーキングな1年として位置づけられるのではないか。そんな予感を抱かせる1年だった。

 

 思えば1年前、日本代表の明るい未来を思い描く人はかなりの少数派だった。試合後のインタビューで自分たちの敗戦を自嘲気味に語る選手の姿は、監督に対する信頼度が地に堕ちていることをほのめかしていた。はっきり言ってしまえば、あの頃の日本代表は、負けることに驚いていなかった。

 

 だが、監督の更迭を求める声が高まる一方で、頑なに続投を支持する人たちもいた。曰く、この期に及んでの更迭はリスクが高すぎる。曰く、まだ日本人は内容だの理想だのを追求する時期ではない。ハリルホジッチの現実路線こそが正しい。曰く、誰がやっても同じ――。

 

 更迭を求める人たちも、自分たちの要求が通ることを信じていたかと言えば、それは疑問が残る。何しろ、いまだかつて日本サッカー協会はW杯直前に監督を交代させたことがなかった。前例にないことをやるにはエネルギーが必要で、日本社会の場合は特にそうである。

 

 だが、前例がなかったこと、特別なエネルギーが必要なことを、日本サッカー協会はやった。続投させての失敗であれば、火の粉が降りかかるのは監督と協会の双方になるが、更迭させての失敗ということになれば、火ダルマになるのはほぼ協会のみ、である。

 

 この勇気ある決断こそが、日本サッカー界にとって今年のハイライトだった。

 

 初戦のコロンビア戦で相手が開始早々に1人少なくなるという幸運はあった。1人で局面を打開できる選手、たとえば中島をメンバーから外した選手選考にも不満は残る。それでも、相手を完全に圧倒した後半の戦いは、ハリルホジッチを指揮官に据えたままではまずありえなかっただろう。

 

 W杯で初めて南米勢に勝ったという自信は、それも内容で完全に相手を凌駕した上での自信は、日本の選手たちに、そして日本人に、たとえようもないほど大きな自信をもたらした。その後の森保体制になってからの日本を見ていると「もっとできたのでは」との思いも頭をもたげてくるが、現在の素晴らしく魅力的な日本代表の根幹にあるのが、ロシアでつかんだ自信にあるのも事実である。

 

 なぜハリルホジッチは更迭されたのか。誰が動き、誰が決断したのか。その全容をわたしは知らない。それでも、あのときに動いた人、決断に関わった人すべてが、わたしにとって今年のMVPである。

 

 口では何といおうとも、ハリルホジッチ監督のやり方は、日本人は世界一にはなれない、との前提に立っているようにわたしには思えていた。そして、同じように考える日本人が少なくないのも事実だった。

 

 潮目は、変わった。

 

 更迭という賭けを経て、いま、日本には史上もっとも魅力的な代表チームが生まれつつある。これは、協会の決断が生んだチームでもある。

 

<この原稿は18年12月13日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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