ジーコと言えば悲運。ジーコと言えば無冠。W杯での印象が強すぎるだけに、ついそう思ってしまっていたわたしだが、先日、ブラジルに詳しい知人から意外な事実を知らされた。

 

「実はジーコって、W杯で1回しか負けてないんですよ」

 

 え? 慌てて頭の中でW杯の記録をそらんじてみた。初出場は78年のアルゼンチン大会。背番号8。1次リーグは1勝2分けの1次リーグ2位で2次リーグへ。アルゼンチン、ポーランド、ペルーと争った2次リーグでは、2勝1分けでほぼ決勝進出を確実にしたかと思われたが、最終戦でアルゼンチンがペルーを相手にまさかの6-0。得失点差で決勝進出を阻まれたジーコたちは、3位決定戦でイタリアを下し、「俺たちは負けなかった」と肩を組んで場内を1周したものだった。

 

 ソクラテスらと共に黄金のカルテットを形成し、ついに背番号10をつけて臨んだ82年スペイン大会。初戦のソ連戦からエンジン全開のブラジルは、W杯史上最高ともされる美しい攻撃で対戦相手を次々と撃破していく。2次リーグでは宿敵アルゼンチンも粉砕し、最後のイタリア戦は引き分けでも準決勝進出が決まる、という状況だった。

 

 下馬評は圧倒的にブラジル。だが、不安定な守備陣がパオロ・ロッシにまさかのハットトリックを許し、2-3でブラジルは敗れた。

 

(ん? ここで1敗。でも続く86年大会もブラジルは優勝できなかった……)

 

 と、そこで気づいた。誇り高きブラジルの人たちは、86年対フランス戦のPK負けを、負けとカウントしていない、ということなのだ。ジーコのPK失敗や、ソクラテスのゴール前での空振りなど、ブラジル人にとってはつらい場面ばかりが印象に残るフランス戦だが、確かに、120分を終えたスコアは1-1だった。たかだか82年大会から採用されたにすぎないPK戦による勝者の決定は、あくまで便宜上のものでしかない。

 

 悲運、不運だったジーコでさえW杯では1敗しかしていないというのであれば……そう思ってさらに記憶をさかのぼってみると、ブラジルという国のとんでもなさが見えてきた。ペレは66年ポルトガル戦の1敗のみ。リベリーノは74年オランダ戦の1敗のみ。ブラジルの背番号10は、3代続けて3大会に出場し、3代続けて1敗しか喫していないのだ。マラドーナなど、5度も敗北の煮え湯を飲まされているのに、である。

 

 クラブW杯で初戦を突破した鹿島の選手たちに、チームに帯同しているジーコは「参加することに満足するな、勝って満足しろ」と激を飛ばしたという。改めてなるほど、と唸らされる思いだった。逆転勝ちを収めた相手がグアダラハラだったというのも感慨深い。グアダラハラのエスタディオ・ハリスコは、彼にとってW杯最後の試合となった、あのフランス戦の舞台だからである。

 

 皆さんがこの記事を読むころ、クラブW杯の準決勝は終わっている。相手はレアル。簡単な相手ではないが、鹿島が手を伸ばそうとしているのは、ジーコが唯一手にしたのと同じ世界タイトルでもある。さて――。

 

<この原稿は18年12月20日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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