福井ミラクルエレファンツから東京ヤクルトに育成ドラフト2位で入団した松本友です。10月にドラフトで指名されたときには正直「嬉しい」という言葉しか出てきませんでした。あまり実感がなかったのですが指名挨拶を経て、契約まで進むと徐々に「NPB入りしたんだな」と実感できました。育成から次は支配下を目指して頑張ります。

 

 2年の期限付きで挑戦

 指名後、ヤクルト球団からの挨拶を受けたとき「守備、打撃、両面に光るものがあった。特に逆方向に強い打球を打てるところを評価した」と言っていただいたのが嬉しかったです。18年シーズンはショート1本で出続けて、打撃面ではセンターからライトの方に打てるようにと意識していましたから。

 

 BCリーグ2年目を迎えるにあたって、18年は体作りに入念に取り組み、それまで手打ち気味だったので、しっかりと下半身始動で打てるようにと取り組みました。田中雅彦監督から「ショート1本でいくぞ」と言われ、さらに「怖いバッターになれよ」と声をかけられていたので、とにかくパワーアップを意識していましたね。

 

 大学を出て2年、福井で過ごした日々はまさに野球漬けでした。学生時代までファッションに興味があって洋服を買うのが好きだったんですが、BC入りしてからは1着も買っていません。買い物に行くよりも練習、という感じでした。今、振り返ると「頑張った甲斐があったな」と思いますね。

 

 僕は大学卒業後、一般企業に就職するつもりでした。野球は大学までで辞めて、就職活動も普通にして内定もいただいていたんです。でも大学4年の夏に福岡に帰省したときのこと。中学時代に所属していたクラブチームの監督に挨拶に行って「就職決まりました。野球は大学で卒業です」と報告したら、「おいおい、お前、ちょっと待てよ」と。そこから監督に「まだ辞めるのは早いぞ。プロを目指すのは若いうちしかできない。本当にいいのか?」と。正直、自分の中にも「プロ野球選手になりたい。NPBに行きたい」という気持ちが少し残っていたんです。監督に言われて、「今しかないないな!」と再び火がついた形になりました。

 

 それでBCリーグの福井に入りNPBを目指すことにしましたが、「期限は2年」と自分で決めたんです。大卒BCリーガーなので年齢を考えれば、夢を追いかけるのも2年がマックスでしょう。最初、BCリーグは思っていた以上にレベルが高く、周りも意識の高い選手が多かった。野球に専念するという環境としては最高でしたね。特にチームメイトの片山雄哉は同学年で「NPBに絶対に行く」という思いを共有できた戦友でした。片山も育成で阪神に入ったので、NPBでもお互いに頑張っていきたいです。

 

 支配下登録に向けては、自分には足りないことばかりだと思っています。技術も体力も全部がまだまだです。NPBで目標とする選手は同じショートの鳥谷敬選手(阪神)です。ショートのレギュラーとして試合に出続けて、本当にすごいと尊敬しています。自分自身もショートのレギュラーとして試合に出続けましたが、独立リーグですらキツかった……。それを考えるとNPBでレギュラーショートでフル出場はとてつもないことですね。早くそのレベルまでいけるようになりたいですね。

 

 田中監督はヤクルトでプレーしていたこともあり、ドラフト後に「おめでとう。NPBで自分の後輩ということになる。切っても切れない縁でつながってるな。頑張れよ」と言っていただきました。ショートに固定してもらったこともNPB指名につながったひとつの要因だと思っているので、田中監督に恩返しするためにも1日も早く支配下登録されるように頑張ります。

 

 これまで2年間、福井ミラクルエレファンツの松本を応援ありがとうございました。福井の皆さんには感謝の気持ちしかありません。ヤクルトに行っても変わらない応援をよろしくお願いします。

 

<松本友(まつもと・ゆう)プロフィール>福井ミラクルエレファンツ
1995年2月5日、福岡県出身。小学3年生から野球を始めてピッチャー、ショートをこなし、中学進学後はショート。東福岡高に進み、ショートと外野手をこなした。高3夏、県大会ベスト8。明治学院大でも内外野を守り、俊足・堅守・強打で鳴らした。卒業後の進路は一般企業の内定を得ていたものの、NPB入りを目指してBCリーグのトライアウトを受け、福井入り。1年目からレギュラーとして活躍し打率3割1分。2年目の18年は1番ショートに固定され、打率3割2分6厘、20盗塁をマークした。同年秋、東京ヤクルトからドラフト育成2位指名を受けNPB入りを果たす。ヤクルトでの背番号は117。右投左打。身長180センチ、体重82キロ。

 

(取材・文/SC編集部・西崎)


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