BCリーグの新球団、茨城アストロプラネッツの初代監督を務めることになりました。大役を仰せつかったプレッシャーはありますが、茨城出身(現かすみがうら市生まれ)として地元を盛り上げたいという気持ちで今は開幕が待ち遠しいですね。

 

 茨城野球はまだ無色

 監督就任のオファーは茨城球団の長峰昌司GMから受けました。「監督をやってもらえませんか」と切り出されたときには、やはり驚きましたね。茨城球団がBCリーグに加盟するというニュースは知っていましたが、「まさか、自分が監督に」なんてこれっぽっちも思っていなかったですから。でも、そのうちに地元の友人たちからちょいちょい「茨城球団が坂と連絡を取りたがっている」という話が入ってきました。それでも「まあ、オファーがあってもコーチだろうな」と。本当に監督なんて夢にも思っていませんでした。

 

 実際に監督のオファーを受けた後は、正直迷いました。阪神を戦力外になった後、一昨年から06BULLS(関西独立リーグ)に所属していましたが、入団にあたっては前監督の村上隆行さん(現中日一軍打撃コーチ)の力添えが大きく、それを考えると「監督になるから辞めます」とは簡単に決断できませんでした。でも、オファーから日数が経ち、その間にいろいろと考えることも多く、「監督というのはやろうと思っていてもできない」「限られた人しか経験できない」との思いが強くなり、監督を引き受けることを決めました。

 

 今は「やってやるぞ!」という、阪神・矢野燿大新監督と同じ気持ちです(笑)。矢野さんとはプロでの実績は随分違いますけど、同じ新監督として少しでも近づけるように頑張りたいですね。

 

 監督就任後、取材でよく聞かれるのが「目指す野球は木内野球ですか?」と。僕は常総学院で1年夏からレギュラーになって、木内幸男監督の下で鍛えられて3回、甲子園に出場しました。だから、そう言われるのも当然ですが、でも僕がグラウンドで見せる野球が木内野球かというと、そうとも言い切れません。まあ幹の部分は木内監督から教わったものがベースになって、知らず知らずのうちに木内野球というものが出るかもしれません。枝葉の一枚が「あ、木内色だな」というくらいの感じかなと思っています。

 

 今、茨城アストロプラネッツの野球にはカラーがありません。まっさらの新球団だから当然ですよね。ルーキーのときに近鉄がなくなって、新球団の東北楽天に行くことになりましたが、あのときは周りにオリックスや近鉄の選手がいたし、あまり「真新しい」という感覚はなかった。でも茨城球団は本当にまっさらの状態です。前任監督がいればカラーがあるんでしょうが、それもない。だから自分の采配、舵取りで球団が良くもなるし、悪くもなるという……。そう考えるとすごく楽しみでもあり、怖さもあります。楽しみ半分、不安半分ですが、でも任せられたからには意気に感じて頑張ろうと思っています。

 

 選手全員と顔を合わせるのはキャンプからになるので、今はどの選手がどういうプレーをしてくれるのか、楽しみにしているところです。選手に望むことは、お客さんをプレーで楽しませること。しょぼくれた姿じゃなくて元気溌剌でグラウンドでプレーする姿を見せてもらいたい。各地のイベントに顔を見せるのはもちろんですが、ファンの皆さんには球場に足を運んでもらいたいから、グラウンドでいいところを見せてほしいですね。

 

 茨城のファンの方には厳しさと優しさを持って応援してもらいたいな、と。いいプレーには歓声を、そしてダメなときには、愛のあるヤジなら歓迎です。あまりキツイのはだめですけど、少々のヤジで潰れるようでは上にはいけませんよ。なにせ私は阪神時代、5万人の歓声とため息、両方を経験していますから(笑)。甲子園はいいプレーをすればやんややんやですが、悪かったら容赦ない。そういうファンの声、ファンの思いを身をもって知ってます。茨城の選手も球場を沸かせるプレー、そしてヤジを封印するようなナイスプレーをどんどん見せてほしいですね。

 

 目標はひとつでも上の順位を目指すことと、NPBへ選手を定期的に送り込めるようにすること。独立リーグからNPBというのは厳しい道ですけど、でもそういう選手を育てていきたい。うちの選手が茨城の代表としてNPBに行ってくれたらファンの人も鼻が高いですしね。

 

 新監督として茨城アストロプラネッツ、そして茨城の野球を盛り上げていきたいと思っていますので、ぜひ、球場に来て大きな声援をよろしくお願いします!

 

<坂克彦(さか・かつひこ)プロフィール>茨城アストロプラネッツ監督
1985年9月6日、茨城県出身。霞ヶ浦町立南中学校から常総学院高(茨城)へ進み、1年からレギュラーとなる。甲子園には1年夏、2年夏、3年夏の3回出場し、高3夏に全国制覇を果たした。高校通算35本塁打の打力を買われて近鉄からドラフト4位指名を受けプロ入り。ルーキーイヤーの04年は一軍出場はなく、同年オフ、オリックスとの合併による近鉄球団消滅により新球団・東北楽天へ分配ドラフトで加入。06年、トレードで阪神に移籍し、同年10月に一軍デビュー。以後、16年まで阪神に在籍し、同年オフに自由契約。17年、関西独立リーグの06BULLSへ入団、兼任コーチを務めた。18年10月、茨城アストロプラネッツの初代監督就任が発表された。


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