法政大学サッカー部のGK中野小次郎は非常に落ち着きのある青年だ。昨年暮れにインタビューを行った際、淡々とクールに過去を振り返ってくれた。ただその言葉の端々には温かみがあり、彼の優しさがにじみ出ていた。

 

<2019年1月の原稿を再掲載しています>

 

 太平洋と瀬戸内海に面し、温暖な気候の徳島で中野はすくすくと育った。サッカーをはじめるまでは家の中で遊ぶことが好きな少年だった。自分で電車の線路をつないで遊ぶプラレールや自由な発想でいろいろなものを組み立てるレゴブロックで遊ぶのが大好きだった。

 

 中野は述懐する。

「(テレビで放送されていた)戦隊モノには全然、興味がなかったです。プラレールを組み立てて家中に電車を走らせていました。あとは、レゴで空港や家を自分でつくって遊ぶのが大好き。父親が建築士だったこともあり家には図面や模型がいっぱいあった。そういうものを見て育ったことがプラレールやレゴが好きになったことに影響しているんですかね」

 

 レゴやプラレールに遊び方のマニュアルはない。自らの頭の中で描いたものを具現化するのだ。「発想力を養うために買い与えたのですか?」と母・由紀子に質すと、くすくすと笑いながらこう答えてくれた。

 

「あ、そうではなくて。家の中が散らかってもオシャレなものがいいなと思ってレゴとかを買い与えました」

 

 聞いているこちらもついつい微笑んでしまった。

 

 中野は幼いながら、大人びた少年だった。彼の母曰く、育てる上で全く手がかからなかったという。聞き分けがよく、チャイルドシートに長時間乗せても嫌がらず座っていた。「これを買って」と駄々をこねることもなかった。状況を見て大人と同じ行動ができた。

 

 中野の両親は旅行が趣味だった。まだ小学校入学前の中野を連れてヨーロッパにも行った。彼は飛行機の移動中も泣かず、現地の食べ物が口に合わなくてもわがままを言わなかった。少々無茶なスケジュールも両親に合わせて行動を共にした。「大人と同じように動いてくれたのが小次郎」と母親は言い、心に残っているエピソードを教えてくれた。

 

「イタリアのフィレンツェに行った時でした。キッチン付きのホテルだったのでご飯をつくるために主人と小次郎が買い物に行ってくれたんです。そのとき、主人が物を買い過ぎてしまって……。物凄い量の荷物を主人が持って、それでも持ちきれないから当時5歳か6歳だった小次郎にも荷物を持ってもらって(笑)。お水も重たいのに雨の中、帰ってきた。普通だったら嫌がると思うんですけど、そんなことは言わずに荷物を持って帰ってきてくれましたよ。その日は疲れたのか、ご飯も食べずに寝てしまいました(笑)」

 

 夫婦間の“ある約束”

 

 親思いで優しい心の持ち主は地元の小学校に入学した。小学校は学年で1クラスしかなかった。そのため1年生から6年生までクラス替えもなかった。クラスメイトは「家族みたいな感じ」だった。仲間とドッジボールや缶蹴りで遊んだことが思い出に残っているという。

 

 そんな中野がサッカーをはじめたのは2年生のとき。地元の少年団にはサッカーチームと野球チームがあった。中野はJリーグの徳島ヴォルティスの試合を観戦したこともあり「面白そうだなぁ」とサッカーを選んだ。

 

 中野の祖父は野球をやっていた。中野と仲の良い友達も野球を選んだ。母・由紀子は「小次郎も野球を選ぶかと思いましたが、“僕はサッカーがいい”と。人気スポーツだし、格好いいし、いいじゃんくらいにしか思っていなかった」と言う。

 

 こうして中野はUSFCという地元サッカークラブの門を叩いた。中野がサッカーをはじめるにあたり、夫婦間で“ある約束”をした。それは「サッカーに関して親が子供に影響を与えない」(母・由紀子)ということだった。

 

 母親の回想――。

「小次郎がサッカーをはじめたときに2人で決めました。主人はバスケットボールを、私は競技スキーをやっていたのでサッカーのことは詳しくない。だからサッカーのことを知らない私たちが小次郎のサッカーのことで、“ああだ、こうだ”は一切言わないようにしよう、と。もちろん、日本代表やJリーグの話はします。でも、小次郎のプレーに関することや、サッカーにまつわる彼の進路のことで口を出すのはやめようと決めたんです」

 

 そして、続けた。

「私ができることは“送り迎え”と“しっかりとご飯をつくって食べさせる”ことくらい。小学校のときは持ち回りで当番があったので見に行っていましたが、正直、小次郎のサッカーのことはあまりわからないです(笑)。これまで指導者の方のアドバイスをもとに小次郎が自分で選択してきて、今があるんだと思います」

 

 サッカーをはじめた当初はフィールドプレーヤーだった。本人は謙遜も込めて「相当、下手だったみたいです」と当時を振り返る。ボールを蹴り始めて約3年後、中野にGKコンバートの転機が訪れる。そのきっかけとは……。

 

第3回につづく)

 

中野小次郎(なかの・こじろう)プロフィール>

1999年3月5日、徳島県徳島市生まれ。小学2年時にサッカーをはじめ、5年生からGKに転向した。USFC-徳島ヴォルティスジュニアユース-徳島ヴォルティスユース。2017年に法政大学に進学。同年U-18日本代表、2018年にはU-19日本代表に選出された。身長200センチ、体重90キロ。

 

(文・写真/大木雄貴)

 


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