「Sportful Talks」は、ブルータグ株式会社と株式会社スポーツコミュニケーションズとの共同企画です。多方面からゲストを招き、ブルータグの今矢賢一代表取締役社長との語らいを通して、スポーツの新しい可能性、未来を展望します。

 

 今回のゲストは元車椅子バスケットボール選手で、下肢障がい者向けの手動運転補助装置「ハンドコントロール」を販売する会社ニコ・ドライブを設立した代表取締役の神村浩平氏です。神村氏が目指す移動格差のない社会への思いを訊いた。

 

 人生を変えたアメリカ留学

 

二宮清純: 神村さんは16歳で交通事故に遭い、脊髄を損傷して車椅子生活を送ることになりました。そこから車椅子バスケットボールを始めるわけですね。

神村浩平: 私は生まれも育ちも川崎市です。市内に車椅子バスケットのチームがあったので、競技を体験する機会に恵まれました。そのときにプレーする選手たちを観て、純粋に“カッコイイな”と思ったんです。もう次の日からチームに入団させていただきました。

 

二宮: アメリカには車椅子バスケで留学されたと伺いました。

神村: はい。その後、「NO EXCUSE」というチームに移った後、アメリカに合宿や大会に行く機会がありました。“アメリカでプレーしたい”と思うようになり、短期大学への留学を決意したんです。

 

二宮: 留学への不安はありませんでしたか?

神村: 全然なかったですね。チャンスとしか思っていませんでした。またアメリカに行くことで人生観も変わりました。向こうでは障がいのある方の多くが車を改造せず、後付けの装置を付けて運転していたんです。中には私よりも年下で17、18歳の子もいました。まずそれにカルチャーショックを受けましたね。“車がこれだけ身近だと10代後半から自立できるんだな”と目の当たりしました。チームでは10人乗り1台の車を借りて、後付けの装置を取り付ければ障がいのある方が運転して遠征に行くこともできました。その時に“障がい者も健常者と同じ行動の仕方ができれば、人生の幅が広がるんだ”と感動したんです。アメリカでのこれらの経験が会社を創業するきっかけとなりました。

 

今矢賢一: 当時、日本にはそれと同じような後付けの装置はなかったんですか?

神村: はい。手動運転装置自体が車に特殊な改造を施したものでした。私が現在製造、販売している「ハンドコントロール」のような後付けのものはなかったです。

 

 引き継いだ理念

 

二宮: そうすると費用がかかりますね。アメリカで“こんな便利なものがあるんだ”と知ったと。

神村: そうですね。きっかけはアメリカで「ハンドコントロール」の技術を開発し、製品化したのは日本の本田技研工業にいた荒木正文さんです。6年前にその話を知った私は荒木さんのことをインターネットで調べたところ、ブログを開設していました。ブログには「自分が開発した技術を販売してくれる人を探しています」と書かれていたので、すぐに連絡して「私にやらせてください!」と思いを伝えました。それを機に荒木さんが造り、私が売るというところからスタートしたんです。

 

二宮: それがニコ・ドライブ設立に繋がったわけですね。

神村: ええ。荒木さんは私と出会って1年後に亡くなられてしまったんです。亡くなる半年前には私にも末期のガンであることを伝えられました。そこで製造部門も託され、荒木さんの思いを引き継ぐかたちで、法人化をして製造体制も整えました。

 

今矢: 今は製造も販売もすべて受け持っているんですね。特許などは?

神村: 会社を立ち上げる際に特許年金を払うのをやめました。荒木さんには「なるべく世の中に広がることで、障がい者の自立を促したい」という思いがあったので、誰でも造れるようにしたんです。

 

今矢: それは素晴らしい。私も御社製の「ハンドコントロール」を使用したことがあります。取り付けも簡単ですし、操作もシンプルなので使いやすい。実はつい先日、オーストラリアに車椅子陸上選手たちの海外遠征に帯同したんです。車を運転する人手が足りなかったので、「ハンドコントロール」で選手も運転してもらうことができました。

神村: ありがとうございます。現在は50弱の教習所に購入していただいています。それまでは免許を取得するまでのハードルを高かった。埼玉県にある国立の障がい者の免許取得場があり、そこで合宿をして免許を取る。もしくは自分で車を改造して、持ち込んで教習所に通うという方法がほとんどだったんです。先ほども申しましたが車を運転できれば行動範囲が広がるわけですから、なるべく敷居を下げてチャレンジできるきっかけをつくりたいと思っています。

 

二宮: 「ハンドコントロール」は国内トップシェアだと聞きました。

神村: 民間の教習所に関して言えばそうですね。

 

 言い訳のできない社会へ

 

今矢: 神村さんがアメリカで出合ったものは日本にも出回っているのでしょうか?

神村: あまり使っている方を見たことはないですね。弊社の「ハンドコントロール」はアクセルとブレーキを持ち手が1本で運転できるんです。押せばブレーキで、引っ張ればアクセルがかかる仕組みになっています。一方、海外のものはそれぞれ1本ずつ付いている。

 

二宮: 片手一本で操作できるのはいいですね。

神村: ありがとうございます。片手ハンドルで、もう一方の手でアクセル・ブレーキ操作ができる利点があります。指を引っ掛ける程度ですから、そこまで握力もいりません。

 

二宮: 市販価格はどのくらいでしょうか?

神村: 10万円プラス消費税で販売しています。基本的には障がいのある方には自動車運転の補助というのが各自治体から受けられるんですね。それが最低でも10万円なので、利用者に負担なく手に入れることができる価格設定にしています。弊社の理念として、障がい者と健常者を平等にしてチャレンジしていただけるような社会を目指しています。

 

二宮: いわゆるノーマライゼーションということですね。

神村: そうですね。逆に言えば、言い訳をできなくして“みんなも頑張ろう”という。

 

今矢: 「NO EXCUSE」(言い訳できない)ということですね。「ハンドコントロール」は海外で販売しているのですか?

神村: まず国内で実績を出し、いろいろとデータを蓄積する必要があったんです。傾向と対策がだいたい掴めてきたので、今年から開始をする予定です。

 

 憧れの存在に

 

二宮: 2020年には東京オリンピック・パラリンピックが開催されます。同大会に期待することはありますか?

神村: パラリンピックのスター選手がもっと世の中に出ていって、有名になってほしいですね。そうなることで今後、不運にも障がいになってしまったり、病気になってしまったとしても“私もこうなりたい”と思えるモデルがいれば、未来は明るいと思うんです。

 

二宮: 神村さんにもそういう方がいらっしゃったと?

神村: はい。私は交通事故に遭った後、神奈川県の厚木市にある病院にいました。そこに私と年齢の近い障がいのある方たちがたくさんいらっしゃったんです。私が医師からもう歩けないことを告知された翌日に活発な高校生を紹介してもらったんです。その人は約2年前に受傷されてから完全に復帰されていた。髪の毛も金髪で、顔も男前でした。車もリンカーンを乗っていたんです。私が受傷して最初に出会った障がい者がカッコ良かったんです。そこにすごく勇気をもらえました。

 

今矢: 憧れられる存在だったんですね。

神村: ええ。そういったロールモデルがいることが重要です。障がいのある方が経営者を務めながらスポーツをするケースは海外では珍しくありませんが、日本ではまだ少ない。今は企業にスポンサーシップを受けながら競技に勤しむアスリートが多いんです。自ら事業を行いながら、収益を得て、スポーツをやっている方は海外にたくさんいます。そういったかたちもあると、知っていただきたいですし、もっと広げていきたいです。

 

神村浩平(じんむら・こうへい)プロフィール>

1984年1月7日、神奈川県川崎市生まれ。16歳のときに交通事故で脊髄を損傷し、車椅子生活となる。その頃に出合った車椅子バスケットボールをはじめた。2004年、NECエレクトロニクス入社。2年後に車椅子バスケ選手としてアメリカ留学。帰国後、ゴールドマンサックス証券に入社。13年に本田技研のエンジニアだった荒木正文氏とニコ・ドライブを創業し、その2年後に同社を法人化した。

>>ニコ・ドライブHP

 

(構成・鼎談写真/杉浦泰介)


◎バックナンバーはこちらから