カープが「市民球団」と称される理由のひとつに「樽募金」があげられる。球団創設2年目の1951年、深刻な経営難に見舞われたカープは、大洋ホエールズとの吸収合併が避けられない情勢となった。

 

 チーム解散に待ったをかけたのが初代監督の石本秀一である。石本は県内各地に後援会を立ち上げ、物心両面でカープを支援するシステムをつくった。その象徴が「樽募金」だった。

 

 実際に「樽募金」に参加した球団一期生の長谷部稔は、筆者にこんな思い出話を披露した。

「2年目に入ってからですね。石本さんが県内各地に後援会をつくった。そこでカネを集めるわけです。僕らもよく駆り出されました。僕の家は呉に近かったので、シーズンオフには、よく呉の方に行きましたよ。行き先は全て石本さんが決めるんです。医者のところに行けといったら医者のところ、魚屋さんに行けといったら魚屋さん。そんな感じでした。あるいは料亭に行かされることもありました。そこで僕らは酒の相手をし、歌を歌わされる。炭坑節もよう歌わされました。そうせんとカネを出してくれませんでしたから。

 

 他には街頭での鉛筆売り。トンボ鉛筆1ダースを60円で売るんです。12本中1本だけ有名選手のサインが金文字で入っている。これが結構売れました。普通の子供たちには買えない値段です。だから買いにくるのは大抵、大人でした。そんななか、売り場の近くを5円だけ握り締めてウロウロしている子がいる。1本しか買えないけど、どうしても売ってほしいと。いや、それならというので1ダースをバラして、1本だけその子に売ってやりました。こうやって市民皆でカープを支えたのです」

 

 カープは実際にはオーナー家である松田家の同族経営であり、市民が経営や運営に参画する「市民球団」ではない。にもかかわらず、市民・県民のみならず一般のファンまでもが「市民球団」と認識している背景には「樽募金」の物語がある。今ではカープの「歴史的資産」であると言えよう。

 

(このコーナーは二宮清純が第1週木曜、書籍編集者・上田哲之さんが第2週木曜、フリーライター西本恵さんが第3週木曜を担当します)


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