やるかたなかった憤懣が、一夜明けてもまだ残っている。

 

 3月22日と26日は、全世界的に代表の試合が組まれていた。日本が神戸でのんびりとしたテストマッチを戦った数時間後、欧州ではヒリつくようなユーロの予選が行われた。

 

 さて、より多くの経験値と収穫を手にしたのは、どちらだろうか。

 

 ずいぶんと強くなったとはいえ、日本のサッカーは依然世界のトップクラスを追いかける側である。差を詰めていくためには、先行者がさぼっている時に汗を流すしかない。クラブチームでの日常はもちろんのこと、貴重な代表マッチでは得られるエッセンスのすべてを搾り取っておかなければならない。

 

 残念ながら、ボリビアと対峙した日本代表の先発メンバーからは、与えられた機会がどれほど貴重なものなのか、自覚している気配があまり感じられなかった。起用した森保監督からすれば、成熟されたコンビネーションなど期待していたはずもない。彼が欲していたのは、固まりつつある先発陣から目移りしてしまうような、強烈な個人のアピールではなかったか。

 

 だが、親の心子知らずというべきか、経験の少ない代表選手の多くが選択したのは、安全第一のプレーだった。俺にはこんなことができる、あいつにできないことができる――そんなアピールではなく、回ってきたボールを極力安全に回すことばかりに腐心していた。

 

 彼らの気持ちもわからないではない。ミスをしたら叩かれる。ただ、ホームでの試合で、相手は韓国にやられっぱなしだったようなチームで、でも、そんな状況で挑戦的なプレーのできない選手が、いったいどんなシチュエーションになれば勇気を持ってプレーできるというのだろう。より重圧のかかる条件下では、もっと退屈なプレーしかできないということではないか。

 

 サッカーは想像力、イマジネーションが大切なスポーツだとよく言われる。自分たちの可能性を想像し、相手が嫌がることを想像し、この先に訪れる展開を想像する。つまり、一流のサッカー選手たるもの、つねに知的なセンサーを研ぎ澄ませておかなければならないのだが、ボリビア戦の先発メンバーに関して言うと、森保監督の心中を想像した選手がほとんどいなかった。

 

 救いだったのは、交代で投入された選手たちが見せてくれた攻撃的、挑戦的な姿勢だった。本来であればチャンスに飢えた者たちがやるべきことを、中島たちはきっちりとやってみせた。あとは、それをベンチから見守った者たちがどう感じたか、だろう。

 

 先行者を追う者がその差を詰めていくためには、修羅場の経験が不可欠だということは、もはや常識となっている。だが、代表の試合が最高の興行になってしまっている日本では、海外での武者修行は簡単なことではない。だとしたら、1つ1つの試合に高いノルマなり目標を設定し、自らに圧をかけていくのが、いまの日本にできる最良の策である。

 

 そういった意味からすると、ボリビア戦の日本は最低だった。貴重な機会を、彼らは1つ、ドブに捨てた。

 

<この原稿は19年3月29日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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