「スゴイですよね。たった1回のシュートで変わっちゃうなんて……」

 東京医療保健大学4年の藤本愛妃が、そう振り返るのは小学2年時である。学校の休み時間、友人に誘われ、校庭でバスケットボールをした。その時に味わったリングにシュートが決まる喜び。たった一度の経験で、彼女はバスケットボールの虜になったのだ。

 

愛媛新聞社

 

 

 

 

 徳島県徳島市で生まれた藤本に「愛する妃。生まれた瞬間に決めました」と、父・俊彦が「愛妃」と名付けた。父親はオリックスでプレーしたプロ野球選手、母親はオリンピックに出場したバレーボール選手だった。野球やソフトボール、バレーボールを始めるのが自然な流れと思える。事実、2歳下の妹・愛瑚は野球を始め、藤本は母に憧れてバレーボール選手になるつもりだった。それが2人ともバスケットボールを始め、今も続けているのだから不思議な縁である。

 

「いろいろなものに興味を持っていました。割と手先も器用だったので、外で遊ぶのも好きだったけど手芸やぬり絵も大好きでした」

 好奇心旺盛な藤本は、社交的で活発な少女だった。習い事は習字と水泳。運動神経がずば抜けていたわけではなかったが、負けず嫌いな性格である。運動会では常に“一等賞”を目指した。本人は「1位を取ったらお父さんからご褒美をもらえるので、それを目当てに必死になって、頑張っていましたね」と笑う。

 

 そんな藤本は母・美加の影響でいずれはバレーボールをやるつもりだったが、チームに所属することもなかった。「誘われてもチームに入る気はなかったんです。それなのにバレーボール選手になりたいと思っていました」。母とバレーボールをするのは楽しかった。ただ漠然と、現役時代は1992年バルセロナ、96年アトランタオリンピックにも出場した花形選手の母に憧れていたのだ。

 

 藤本の友人にはミニバスチーム「TJジュニア」に所属していた子が多かった。藤本は同級生たちと比べても身長は高かった。だから父・俊彦からすれば、娘がバスケットボールを誘われることも始めることも「不思議ではなかった」という。そして冒頭の校庭でのシュートが、彼女のその後の人生を決定付けたのだった。

 

 成長するために選んだ転校

 

 TJジュニアに入団したのは小学3年になってからだ。男子チームに全国大会に出場経験があるほど、県内でも屈指の強豪だ。5対5のゲーム形式の練習が多く、バスケットボールを楽しめる環境にあった。

 

 そして妹・愛瑚もほどなくして藤本と同じチームに入団した。両親は2人娘が、自分たちの専門外であるバスケットボールを始めたが、「やりたいことをやればいい」と背中を押した。自宅にリングを設置し、練習環境を整えた。バスケットボールに詳しくない両親も本や映像を見て、独学で勉強して彼女たちをサポートしようとした。

 

「両親から『あれやれ』『これやれ』と言われたことはないです。ただ中途半端で終わるのはダメ。『決めたんだったら、それをやり遂げろ』という教えでした」(藤本)

「『やるなら一番を目指せ』と、知っている情報は全部教えました。よその家と比べれば厳しかったかもしれません」(父・俊彦)

 

 その甲斐あってか藤本姉妹はメキメキと実力を付けていった。すると、藤本が6年、妹・愛瑚が4年時にチームは全国大会で3位に入る。家では喧嘩ばかりの姉妹だったが、バスケットボールのコンビネーションは良かった。当時を振り返り、お互い「やりやすかった」と言う。

 

 小学校卒業後はTJジュニアのOG、同級生も進学した地元の中学へ進んだ。“このメンバーで全国へ行くぞ”と、モチベーション高く中学生活をスタートさせた。ところが、同校バスケットボール部では結果を残せなかった。「小学生の時に圧倒的に勝っていたような相手にも勝てなくなっていました」と藤本。練習の雰囲気は良くなく、モチベーションも下がりつつあった。焦りや不安が彼女を包んでいた。

 

 そんな姿に父・俊彦は不満を覚えていた。父は小松島中学の顧問から熱心に声を掛けてもらったことを思い出し、娘を同校の練習見学に誘った。

「指導者が熱心に練習を指導している雰囲気を目にして、愛妃も『転校したい』と思うようになった。愛妃のスタートはそこからですね」

 

 1年時の終わりごろ、藤本は小松島中に転校した。小学生時にはライバルだったチームの選手たちが進学した中学である。だが自らが成長するためと、新たなステップを踏むことを迷わなかった。その選択が間違いではなかったということは、結果で証明してみせた。3年時には徳島県大会、四国大会を勝ち上がり、全国中学校体育大会(全中)の出場を決めた。全中で上位に入ることはかなわなかったが、同校初の全中出場を果たした。

 

 県内で実績を残した藤本は、国内で将来を嘱望される存在になった。彼女には県内の強豪校のみならず、女子バスケットボールの名門・桜花学園高校からも声がかかっていたのだ。

 

(第3回につづく)

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藤本愛妃(ふじもと・あき)プロフィール>

1998年2月11日、徳島県徳島市生まれ。小学3年でバスケットボールを始め、6年時には全国大会で3位に入る。小松島中学3年時には全国中学校体育大会に出場した。名門・桜花学園高校進学後、数々の全国大会優勝を経験。東京医療保健大学進学後は1年時から主力としてプレーする。2年時に関東大学リーグ戦と全日本大学選手権大会(インカレ)の2冠達成に貢献した。同年夏にはユニバーシアード競技大会の日本代表に選ばれ、50年ぶりの銀メダルを獲得した。3年時はケガに苦しみながらもインカレ2連覇に導く活躍を見せた。身長182cm。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

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