縁あって地元・長野の球団、信濃グランセローズの指揮を執ることになりました。いつかは地元に野球で恩返しをするようなことをしたい、ずっとそう考えていました。ちょうど昨季で楽天を退団し、信濃が監督を探しているというタイミングが合いました。長野の野球を盛り上げていきたいですね。

 

 現状に満足するな

 私自身はNPBではスター選手ではなく、スーパーサブなんて呼ばれていましたが、まあ控え選手でした。長嶋茂雄さん、仰木彬さん、星野仙一さん、山田久志さん、落合博満さん、梨田昌孝さん、平石洋介さんと現役、コーチ時代にこれだけの監督と野球をしてきました。監督に就任してこの人たちの野球をマネしようと思ってもできないし、そうしようとも思っていません。

 

 ただ、一番影響を受けたという意味では星野さんは忘れられません。星野さんは何よりも人の心をつかむのがうまい監督でした。私のような一軍半の選手にも「おう、頑張れよ」と声をかけてくれて、楽天のコーチ時代にも「周りを気にすることはない。自分らしくやったらいい」と、事あるごとに励ましてくれました。そういう感じで気にかけてもらっていると、自然と「星野さんのために」という思いで野球に取り組んでいましたね。私にそれだけの求心力があるとは思いませんが、でも選手たちに「声を掛ける」ことは大事にしていきたいと思っています。

 

 選手たちと初めて会ったのは1月27日でした。合同自主トレを前にして、選手も「どんな監督なのか?」という雰囲気で、こっちも「さてどんな選手がいるのか」とお互いに緊張していましたね。そのときに選手と4つの約束をかわしました。これは野球の技術的なことではなく、社会人としての約束です。

 

 それは「挨拶はしっかりする」「返事もきちんとする」「言い訳はしない」「不平不満を態度に出さない」ということです。野球選手である以前に、社会人としてしっかりしてないと、野球を辞めたあとでどれだけ苦労するか、それを選手には知ってほしいと思っています。

 

 NPBの現役時代、そして楽天でコーチをしているときに、プロに入った時点で満足しているような選手は、上に言った約束事が守れないタイプでした。そういう選手は1年、2年経っても1軍に上がれず、やがて消えていくというのを何例も見ていました。コーチや監督の注意でふてくされたりすると、やがてそれは自分の身に返ってくる。人のためではなく、自分のためにも社会人としてきちんとすることをまず心がけて欲しいですね。

 

 監督に就任して思ったのは、これまでコーチのときにはバッテリーだけを見ていれば良かったのが、全体を見なきゃいけないということ。当たり前といえば当たり前なのですが、監督というのはとんでもなく大変な仕事なんだなと気付かされました。開幕前の緊張感も現役時代とはまた違ったものがあって、それも監督になって初めてわかったことです。

 

 目指す野球はキャッチャーをずっとやってきたときから変わらず、守備からリズムをつくっていく野球です。ピッチャーがフォアボールを出せば、野手のリズムが崩れてエラーの出る確率も高くなる。そうではなくポンポンポンと3つアウトをとってベンチに戻れば、それが攻撃にもいいリズムを与えます。

 

 チームのキーマンとしては誰かひとりということではなく、全員がキーマンですね。地元出身の選手も、新入団の選手も、ずっと信濃にいる選手も、そして外国人選手も、全員がレベルアップをすることがチームに貢献することになります。NPBを目標とする選手たちには向上心を持って野球に取り組むように伝えています。また観察力をアップすることも上に進むためには必要になってくるとも。

 

 新監督として、そして地元出身者として信濃グランセローズの指揮を執ることを非常に意気に感じています。ファンの皆さんにはひとつでも多くの勝利をプレゼントしてより愛される球団を目指していきます。野球というスポーツはいいときもあれば、悪いときもある。どんなときでも変わらない応援を今シーズンもよろしくお願いします。

 

<柳澤裕一(やなぎさわ・ゆういち)プロフィール>信濃グランセローズ監督
1971年8月2日、長野県出身。松商学園高では甲子園出場は果たせなかったもののレギュラー捕手として活躍し、卒業後は明治大に進学。日米大学野球選手権の日本代表にも選ばれ、東京六大学リーグでは通算55試合に出場し、ベストナインに3回選出された。94年、ドラフト2位で巨人に入団。95年4月にプロ初出場、97年は57試合に出場(うちスタメン捕手41試合)した。99年、トレードでオリックスへ移籍。01年は中日に移籍し、04年、正捕手・谷繁元信の控えとしてチームを支えた。06年限りで中日を退団、07年、福岡ソフトバンクのテスト生として春季キャンプに参加も不合格に終わり現役引退。16年から18年まで東北楽天の二軍バッテリーコーチを務めた。19年から信濃グランセローズの指揮を執る。


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