サッカー選手は、たった1試合で人生が変わることがある。

 

 親善試合で4点をとった。いまの感覚からすると、さしたるニュースではない。けれども、ハットトリックプラス1をなし遂げたのが日本人FWで、赤っ恥をかかされたのがフェイエノールトとなると、82年の段階ではかなりの事件だった。この試合でその名をスカウトたちの意識の片隅に刻むことに成功した尾崎加寿夫さんは、翌年、奥寺康彦さんに次ぐ日本人2人目のプロ選手としてブンデスリーガ・デビューを果たした。

 

 もちろん、尾崎さんがビーレフェルトとの契約に至ったのは、彼が日本代表で活躍していたことや、チームの練習に参加した際、スタッフに強い印象を残せたから、ではある。

 

 ビーレフェルトの監督が、ボルシアMGのOBだったことも関係していたかもしれない。70年代、三菱との関係が深かったボルシアMGは日本代表の選手を練習に参加させたことがあり、そこでプレーしていたホルスト・ケッペルは、他の国、他のチームに比べれば日本人に対する偏見が少なかったことも想像できる。

 

 とはいえ、フェイエノールト戦での4発がなければ、尾崎さんの人生が違ったものになっていた可能性も、また高い。ドイツにとって宿敵とも言えるオランダの強豪をブチのめしたという実績は、疑心暗鬼な目に対する最高の抑止力にもなったはず、だからである。

 

 時代は流れ、日本も、サッカーも、各国リーグの関係性や距離感も、あのころからは考えられないほどに変わった。だが、たった1試合、たった1ゴールがその選手の人生を変えることは、依然ありえるのでは……先週末、そんなことを考えさせられる場面があった。

 

 0-3で迎えたアディショナルタイム。もし勝負あったと見てスタジアムを後にしていたお客さんがいたとしたら、痛恨の極みというしかない。演じられたのは、将来有望にしてまだ無名の若武者による、ものの見事な単騎突撃だった。いわゆる“ファンタジスタ”と評される人種にしか表現することのできない、鮮烈なスラロームだった。

 

 演者の名前は食野亮太郎。左後方からのタックルを体幹の強さで跳ね返し、左右両足で差異なくボールをゴール前へと運び、最後はやや足元に入ったボールをつまり気味に右インフロントでねじ込んだ。見方によっては5人抜き。アルゼンチン人ならばマラドーナやメッシ、イタリア人であれば間違いなくロベルト・バッジョを思い起こしたであろう、衝撃的な一撃だった。

 

 実はJリーグでは先月も鹿島のレオ・シルバが素晴らしい単独突破によるゴールを決めているが、食野の得点の衝撃度はそれを大きく上回る。わたしの中では、早くも年間最高ゴールの最終ノミネート決定である。

 

 衝撃が走ったのは日本だけではない。すでにドイツでもゴールの映像は取り上げられ、ちょっとした話題になっているという。

 

 おそらく、今週末はいままでよりはるかに多くの人が食野のプレーに注目するだろう。そこで結果を出せれば、彼の人生は動き出す。ちなみに、G大阪の食野という名字の読み方は「めしの」である。

 

<この原稿は19年5月16日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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