「神の名を持つギロチン」との異名をとった名物会長がいる。ヘスス・ヒル。16年間にわたってAマドリードの会長を務めた彼は、在位期間中に26人もの監督を起用した。

 

 監督たちからすると、ヒル会長は諸悪の根源にも思えたはずである。確かにカネは出すのだが、采配や選手起用を批判してくることもあれば、現場の意向とは関係なく新戦力を獲得してくることもある。選手の立場からすれば誰が本当のボスかは一目瞭然で、となれば、監督の言葉など響くはずもない。オーナーからの寵愛を笠にきて反抗的な態度をとる選手も現れる。結局、潤沢な資金力を誇りながら、ヒル会長の在任中、Aマドリードがリーガを制したのは1回だけだった。

 

 強権を持ったオーナーといえば、チェルシーのアブラモビッチの名前も思い浮かぶ。ただ、チェルシーとAマドリードに違いがあったとすれば、それはオーナーの存在を選手に意識させないほどのカリスマを監督に据えた、ということだろう。モウリーニョという人物の存在が、ともすれば指揮系統の混乱が起こりがちな絶対的なオーナーの存在を、マイナスにしなかったのである。

 

 ミラノの2チーム、そしてユベントスも、オーナーの存在が大きなチームだが、そのことが選手たちを混乱させたという話はあまり聞かない。成績次第で更迭されることがあるのはもちろんとしても、それはどこのクラブでもあること。サッキのようなカリスマ、ザッケローニのような実務家など、様々なタイプが起用されたことを考えると、オーナーとチームの関係についての知見が蓄えられている、ということもできる。

 

 私事で恐縮だが、わたしも以前、FC琉球というチームのスーパーバイザーをさせていただいたことがある。個人的には得ることが山ほどあった数年間だが、いまから思うと、わたしの存在はチームにとってマイナスでしかなかった。

 

 というのも、わたしは現場のやり方に口を出した。戦い方が違う。方向性が違う。もちろんよかれと思ってやったことなのだが、現場の選手や監督からすると、大きなお世話でしかない。しかも、わたしがオーナーと近しい関係にあることは、誰もが知っていた。監督につくか。わたしにつくか。これではチームがまとまるはずがないし、実際、ほとんどの監督とわたしの関係は険悪になって終わった。唯一の例外が、代表監督時代には犬猿の仲だったトルシエだったのは皮肉である。

 

 さて、ヴィッセル神戸が大変なことになっている。外部の人間としてその内情は知るよしもないが、混乱状態にあるのは間違いない。

 

 GW明けには吉田監督が記者会見で三木谷会長の現場介入を全面的に否定した。だが、問題なのは介入しているかいないか、ではなく、そう見る人がいる、ということである。いくら彼が否定したところで、疑念をかきたてるだけでしかない。

 

 もし疑念を打ち消したいのであれば、オーナー自らが「していない」あるいは「もうしない」というしかない。実際のところはどうであろうが、である。

 

 あるいは、介入などありえないと周囲が納得する、カリスマを招聘するか――。

 

<この原稿は19年5月23日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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