6月はコパ・アメリカ、女子W杯、注目選手の引退表明とたくさんのニュースがありました。まずは、コパ・アメリカから振り返りましょう。

 

 東京オリンピック世代の選手を中心に臨んだコパ・アメリカ。結果は2分け1敗でグループリーグ敗退でした。初戦のチリ戦は0-4。特にFW上田綺世(法政大)の評価は分かれました。ゴール前でフリーになる動きの質は素晴らしいのですが3、4回あった決定機を逃してしまった……。僕は期待も込めて厳しく評価します。「そこまでできるなら、あとは決めてくれよ」と強く言いたい。彼は鹿島アントラーズに内定しています。サポーターも期待している選手なので敢えて苦言を呈します。

 

“価値高騰!?”の柴崎

 

 その上田の決定機を2度も演出したのがMF柴崎岳(ヘタフェ)でした。自らボールを奪取してのアーリークロス。相手のパスミスを拾いダイレクトで通した鋭いスルーパス。チリ戦に限らず大会を通じて柴崎は選手としての価値を上げました。攻守ともに質の高いプレーを披露したことに加え、キャプテンとしての役割を全うしました。年齢的にも周囲を見て、自分がどう行動すべきかをしっかり感じ取っていたのではないでしょうか。それくらい柴崎はコパ・アメリカを通じて大きく成長し、評価を高めました。

 

 勿体ないと感じたのが2戦目のウルグアイ戦です。MF三好康児(横浜F・マリノス)の得点で先制したもののPKで追いつかれました。後半に再び三好のゴールで勝ち越したが、今度はCKから失点を許し、引き分け。いい勉強になったかもしれませんが、“逃げ切る”という成功体験をして欲しかった。流れが悪ければ慌てず、無理せず簡単にプレーを切る判断も必要です。この経験こそ東京オリンピックに生かして欲しいですね。

 

 この試合ではトップ下にMF安部裕葵(鹿島アントラーズ)が入りました。クラブでは左サイドハーフで起用されることが多いですが、森保一監督は彼の前を向くプレーを魅力に感じたんでしょうね。狭いスペースでも素早く反転し、チャンスを演出していました。また精力的に動き、三好のためにスペースを空けるなど、目立たないながら正確な判断で適切なポジショニングを取れていたと思います。

 

 引き分けに終わったエクアドル戦。試合前、勝った方がノックアウトステージに進出できるとわかっていたということも影響したのでしょう。結局5名の若手がコパ・アメリカのピッチに立たず敗退しました。結果を見た後の“たら、れば”になってしまいますが、森保監督の判断が中途半端だったかなぁと感じました。大会前、若手主体で臨む日本代表を叩く海外メディアもありました。もちろん、日本は選手拘束権がない中、頭を悩ませながらメンバーリストを構成し、やり繰りしたはずです。海外メディアに「日本は舐めている」というようなことを言われたのであれば、開き直って若手を試し切ってもよかったのかなァ(笑)。

 

 鳥栖はクラブ哲学を固めるべき

 

 よく出場機会がなかった選手が「雰囲気を味わえただけでもよかった」というコメントを残しますが、そんなこと絶対に思っていませんよ(笑)。試合に出場し、肌で世界レベルのスピードや当たりの強さを感じる。通用した部分を実感する。これらはピッチに立たないとわからないですからね。

 

 さて、なでしこジャパンがフランスワールドカップに臨み、ベスト16で敗退しました。こちらも若手主体で戦い、この成績は十分に評価できます。女子サッカーは男子と違いオリンピックに年齢制限がありません。このメンバーがベースとなり東京オリンピックを戦うでしょう。高倉麻子監督と選手にはぜひ、今回の経験を生かして欲しいです。

 

 駆け足で、もう1つ。J1サガン鳥栖に所属する元スペイン代表FWフェルナンド・トーレスが今夏での現役引退を表明しました。まずは、お疲れ様でした。サッカー界に多大な功績を残した選手。その経験を生かし、鳥栖のアドバイザーとしてクラブを改革してもらいたい。様々なクラブを渡り歩いた彼独自の意見を真摯に受け入れ、クラブが一枚岩になって改革に取り組むべきです。

 

 せっかくトーレスのような経験豊富な人物がアドバイザーとしてクラブに残るのに、方向性が定まらず、ころころクラブの方針が変わると、その場しのぎの薄っぺらいものになってしまいます。トーレスのアドバイザー就任を機に、鳥栖は確固たるクラブのフィロソフィーを築くべきですね。

 

 彼の公式戦最後のゲームは8月23日、ホームのヴィッセル神戸戦。鳥栖のファンはもちろん、僕も今から楽しみな一戦です。それに加え、試合後のコメントにも注目したいと思います。

 

●大野俊三(おおの・しゅんぞう)

<PROFILE> 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザの総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。


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