西本恵「カープの考古学」第16回 カープ初代監督・石本秀一物語その六「広商黄金期を築き、アメリカ遠征へ!」

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 石本が野球において神の境地といえるものを感じられるようになり、試合を左右する目に見えない何かを求めるようになったのは、広島商業(以下、広商)の選手時代から監督時代を通じてであった。野球の神様が微笑む瞬間を精神力で引き寄せることができたのは、石本の野球人生の真骨頂であった。

 

 これにより、広商野球部は、黄金期を迎え、最強のチームとして、全国的な名声を手に入れる。昭和4年夏、昭和5年夏、昭和6年春と甲子園優勝を果たした後、褒賞旅行として、アメリカ遠征に旅立った。この時期がカープの初代監督になる石本にとって、風聞や見識を広め、野球人としてもっとも成長した時期であっただろう。

 

 広商強化の「三年計画」

 石本が、再び、広商野球部の監督として戻ってきたのは昭和3年のことだった。復帰して広商の選手を見た石本はこう思った。「前に勝ったとき(大正13年夏・全国中等学校野球大会優勝)と同じ練習をすれば、この選手らではつぶれてしまう……」。そこで悩み、考え抜いてあるビジョンを導き出した。それが三年計画である--。

 

 当時、アジア大陸もきな臭い状況で、若人は「いずれは戦場へ」という時代だった。そんなときに中等学校で「時間をかけて育てる」という発想は生まれにくかったが、石本は10日間も考え抜いた末に、三年計画を立てた。中等野球における初の育成計画であったろう。現代の高校野球界では当然のように行われていることだが……。

 

<一年目は基礎を、二年目は試合経験を学ばせ、三年目には優勝をねらう--。これを半世紀も昔考え出して実行したところに石本のユニークさがある>(「情熱と信念の野球人~石本秀一物語~」(中国新聞)・一部略)

 

 三年計画と言いながら、練習の中身は当然ながら厳しいものであった。
<練習は過酷を極め、石本の激しい怒声は広島商業の狭い〝三角グラウンド〟に飛び続けた>(「情熱と信念の野球人~石本秀一物語~」(中国新聞))

 

 ある選手の証言である。
<「石本さんは手のマメをつぶし、血だらけにしながらノックされたんですね。球を捕ったと思ったら、もう次の球が飛んできて、そりゃ厳しい個人ノックでした」>「情熱と信念の野球人~石本秀一物語~」(中国新聞)

 

 手のマメから血が吹き出るノックとあらば、相当な打球であったろう。厳しいノックのあまり逃げ出す選手もいたという。
<広商とローマ字で胸に描いたユニフォームの選手が懸命に逃げていく。メガネを光らせながらバットを持った大人がそのあとを追う。(中略)道いく人たちは、あっけにとられた。少年はかなり速かったが、追っかける方も劣らず速い。バットの先が、選手のオシリにちょくちょくさわると、選手は飛び上がるようにダッシュした>「カープ十年史『球』」(読売新聞)

 

 想像すればコミカルな映画のワンシーンのようにも感じられるが、バットを振り振り全力で走る石本に、追いかけられる選手の身になれば、生きた心地がしなかったろう。

 

 こうした石本のノックで育った選手には、後の名将、鶴岡一人がいた。鶴岡も石本の猛練習から逃げ出したひとりだ。
<鶴岡選手は、よくさぼって呉に帰ろうとした。ところが、こっそり帰ったつもりが、広島駅に先回りした石本監督にみつかってたちまち引き戻され、常にもましたノックの洗礼を受けたものだった>「カープ十年史『球』」(読売新聞)

 

 ただし、選手から鬼のように恐れられた石本も、単に厳しかっただけではない。前回、登場した保田昌志の父で、当時、広商の選手だった保田直次郎の証言である。
<「石本さんは人をよう見て、厳しく当たった方がよいと思えば”このばかやろう”とおこったし、しかられると萎縮するタイプはおだてたりしていました」>(「情熱と信念の野球人~石本秀一物語~」(中国新聞))

 

 選手の機微をよみながらの指導に加えて、精神の鍛錬である「真剣の刃渡り」。また神の島・宮島、厳島の弥山登山もさせ、三鬼神に参拝して必勝祈願も行った。

 

 練習も精神鍛錬も神頼みも、すべてやった。なにもやり残したことはない。あとは本番だけだ--。この域に達した広商野球部は、三年を待たずに開花していく。

 

 余談であるが、このチームには、のちにカープ創設に携わった久森忠男(カープ事務局長)や、灰山元章(カープ創設時の二軍監督)らがいることからして、石本イズムが浸透したメンバーでカープを立ち上げたことに違いはなかろう。

 

 広商、夏連覇と夏春連覇

 昭和4年、春の甲子園で広商は一回戦で愛知一中に敗れたものの、夏の山陽大会を順調に勝ち上がり、甲子園に出場した。初戦・関西学院中に9対4と逆転勝ちし、さらに静岡中を延長11回の末に4対2、鳥取一中を5対1で破り、決勝では、海草中を3対0で下し5年ぶり2度目の甲子園優勝を飾った。

 

 さらに翌年の夏にも力を発揮する。ショートを守っていた灰山元章を、投手に育てあげ、山陽大会を勝ち上がると、甲子園では一回戦、浪華商を14対4で圧倒して勢いにのった。ところが、二回戦、小倉工業の剛球投手、植田延夫投手に8回裏までノーヒットノーランに抑えられ、0対1と、敗戦ムードが漂った。

 

 だが、ここで起死回生の一打を放ったのは、石本にバットで追い回された、あの杉田栄である。杉田が剛球にくらいついて、二塁への内野安打で出塁した。固くなっていた二塁手が悪送球をし、杉田は二塁にまで進んだ。

 

 俄然勢いの出た広商。次打者の保田直次郎も、バントの構えを見せながらピッチャーを揺さぶり、四球で歩いた。さあ、無死一、二塁である。

 

 ここで広商がとるべき戦法は、手堅く送りバントであろう。『広商野球部百年史』にもこうある。
<この場面、打者にどう指示する。おそらく、バントで走者を二・三塁に進めると答えるはずである>(『広商野球部百年史』)

 

 だが、石本の作戦は違った。ダブルスチールという奇襲に出たのだ。これがものの見事に的中する。

 

 石本のコメントが『広商野球部百年史』にこうある。
<「いやあ、無謀だという声が多かったが、ちゃんと計算ずくだった。バッテリーはバントを警戒していたし、内野はコチコチ。そうそう、捕手もかたくなっていたから成功間違いないという確信があった」>(『広商野球部百年史』)

 

 この後、ヒットが出て、杉田がホームインし、同点。この後、四球と内野安打が出てついに逆転サヨナラ勝ちをおさめた。あの猛特訓に耐えた杉田が切り拓いたチャンスで奇跡的な逆転勝利--。

 

 余談であるが、後年、広商は昭和48年のセンバツ準決勝で、あの怪物と呼ばれた江川卓擁する作新学院戦でもダブルスチールを決めている。歴史を知る高校野球マニアは広商の「石本イズム」を感じた瞬間だった。

 

 さて、話を元に戻そう。これに勢いづいた広商は、大連商、和歌山中を破り決勝に進出した。決勝では諏訪蚕糸に8対2、前年夏に続いての全国制覇である。

 

 この頃の広商は手がつけられない強さだった。翌昭和6年、春のセンバツもそうだった。この大会、優勝校には毎日新聞社から褒賞旅行としてアメリカ遠征が贈られるとあって、広商ナインは張り切っていた。初戦となった二回戦で坂出商を4対0で下し、三回戦で松山商を3対0。準決勝は八尾中相手に10対8で辛勝だったものの、決勝は中京商に2対0と勝利した。

 

 決勝戦の最終回、ツーアウト満塁と詰め寄られたものの、最後の打球はこれまた石本に追いかけられたショート鶴岡のところに飛んだ。ゴロをさばいた鶴岡が、セカンドに入る保田直次郎にトスしてゲームセット--。このときに鶴岡がとった行動がなんともユニークだった。

 

<「そのとたん私は『アメリカ!!』と叫んで保田さんに抱きついた」>(『私の履歴書--プロ野球伝説の名将 鶴岡一人』日経ビジネス文庫)

 

 昭和4年夏、5年夏、さらに6年春と甲子園を制した広商は、アメリカの大地に立つのである。このアメリカ遠征は、広商にとって、初の海外遠征になった。石本はこの遠征でのちのカープ誕生に影響を及ぼすほどのさまざまな経験を積んだ。アメリカという大国で見聞を広めたのだ。

 

 さて、これまで六回にわたり、カープ初代監督・石本秀一の物語をつづってきたが、次回でもって終回とさせていただき、その後は、いよいよカープ誕生に話を進めていく。

 

【参考文献】 「カープ十年史『球』」(読売新聞)、「情熱と信念の野球人~石本秀一物語~」(中国新聞)、『私の履歴書――プロ野球伝説の名将 鶴岡一人』日経ビジネス文庫)、『広商野球部百年史』(広島県立広島商業高等学校)

 

<西本恵(にしもと・めぐむ)プロフィール>フリーライター
1968年5月28日、山口県玖珂郡周東町(現・岩国市)生まれ。小学5年で「江夏の21球」に魅せられ、以後、野球に関する読み物に興味を抱く。広島修道大学卒業後、サラリーマン生活6年。その後、地域コミュニティー誌編集に携わり、地元経済誌編集社で編集デスクを経験。35歳でフリーライターとして独立。雑誌、経済誌、フリーペーパーなどで野球関連、カープ関連の記事を執筆中。著書「広島カープ昔話・裏話-じゃけえカープが好きなんよ」(2008年・トーク出版刊)は、「広島カープ物語」(トーク出版刊)で漫画化。2014年、被爆70年スペシャルNHKドラマ「鯉昇れ、焦土の空へ」に制作協力。現在はテレビ、ラジオ、映画などのカープ史の企画制作において放送原稿や脚本の校閲などを担当する。最新著作「日本野球をつくった男--石本秀一伝」(講談社)が発売中。

 

(このコーナーは二宮清純が第1週木曜、書籍編集者・上田哲之さんが第2週木曜、フリーライター西本恵さんが第3週木曜を担当します)

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