“大魔神”の異名で恐れられた元横浜のクローザー佐々木主浩が全盛期の頃の話である。当時の巨人監督・長嶋茂雄は「ベイとやる時は8回まで」と事あるごとに語っていた。それまでに攻略しなければ、勝ち目はない、ということである。

 

 1998年、横浜が38年ぶりのリーグ優勝、日本一を果たした年の大魔神のピッチングは圧巻だった。135ゲーム中51試合に登板し、1勝1敗45セーブ、防御率0.64。79勝のうち46勝に貢献した。勝利貢献率なる指標でも設ければ、実に5割8分2厘。9割を超える支持を集めてのリーグMVPだった。

 

 ある試合で巨人の村田真一が佐々木からホームランを放った。普段なら、真っ先にベンチを飛び出してくるはずのミスターがいない。探すとベンチ裏にいた。

 

 これは現巨人内野守備兼打撃コーチの元木大介から聞いた話。

「せっかく村田さんがホームランを打ったというのに長嶋さんがいない。後から出てきて“あれっ、誰がホームラン打ったの?”。すると村田さん、残念そうに“見ていてくださいよ、監督!”と言ったのには笑えましたね」

 

 当時、「守護神」といえば、佐々木を意味する言葉だった。まさに難攻不落の要塞だった。

 その佐々木と比較するのは酷な気もするが、名前がコールされると、相手球団のファンから拍手される、気の毒なクローザーもいる。広島の中﨑翔太だ。

 

 ドキドキ、ハラハラ、ヒヤヒヤ。9回限定の起用だが、3人でピシャリと締めくくることは、極めて稀である。誰が名付けたか「中﨑劇場」。マウンド上で本人はアブラ汗、スタンドのファンは冷や汗。ついに6月20日、不振を理由に緒方孝市監督は、2軍行きを命じた。

 

 その中﨑が7月31日、1軍に戻ってきた。首位・巨人とのゲーム差は5(7月31日現在)。どこで起用するかは未定のようだが、ブルペンの手札は1枚でも多い方がいい。汚名返上となるか……。

 

(このコーナーは二宮清純が第1週木曜、書籍編集者・上田哲之さんが第2週木曜、フリーライター西本恵さんが第3週木曜を担当します)


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