6月から始めたTwitterに載せるために、球場でいろんな選手、コーチ、OBとツーショットを撮り、すっかり「球界の林家ペー」となっている鈴木康友です。どんなツーショットが載っているのかはTwitter(@Yasutomo_76)にてご覧ください。さて、連載コラムも今回が2回目。しばし球論にお付き合いください。

 

 絶妙の用兵

 まずは高校野球の話から。現在、8月の甲子園を目指して地方大会の真っ最中ですが、私が昨年10月から臨時コーチを務めている立教新座高(埼玉)が県大会4回戦まで見事な戦いを見せてくれました。最後は強豪・山村学園に2対3で敗れたものの、それまで練習試合で一度も勝っていない相手に善戦。去年の秋からさらに強くなったな、と思いました。立教新座は昨年秋の県大会でベスト4に入っています。私がコーチになって弱くなった、なんてことがなく本当に良かった(笑)。新チームでもさらに上を目指し、一緒に頑張っていきたいと思っています。

 

 プロ野球は今季のセ・リーグは原辰徳監督率いる巨人が頭ひとつもふたつも抜けましたね。「原巨人の強さの秘密は何か?」と考えると、選手ひとりひとり、チームの隅々まで原監督の目指す野球が浸透していることだな、と思います。スタメンはもちろん、後から出てくる選手たちも自分たちの役割を理解していますね。

 

 今年の巨人で柱は坂本勇人、丸佳浩、岡本和真ですが、それ以外の選手の使い方もうまい。小林誠司、炭谷銀仁朗、大城卓三の3人のキャッチャーの使い分けもそうですし、クリスチャン・ビヤヌエバを6番や7番に入れているのも絶妙です。当たるかどうかわからない外国人選手の場合、ヘタに4番を任せて活躍しないと腹が立ちます。原監督は「6番、7番ならまあいいか。取り替えるのも簡単だし」と柔軟に構えている感じがしますね。

 

 原監督が巨人で指揮を執るのは今回で3度目です。02年の1期政権で私は守備走塁コーチを務めましたが、原監督はコーチ陣に向かってこう言いました。

 

「オレにお伺いを立てるなよ。若いコーチだけど、みんなスペシャリストだと思っているから」

 

 要するに「代打は誰にしましょうか? なんて聞いてくるな」ということです。だから私も「監督、代打は江藤智、元木大介がいます。右ピッチャーだけど大介でいきましょう」といった感じでした。それで原監督から「ノー」はなかったし、失敗して「あれはコーチの策だから」なんて言われたこともありませんでした。非常に指揮官として腹の座った人ですね。ただ今の原監督は攻撃に関しては自分で「こうしよう!」と決めている気がしますね。そのあたりはコーチ陣の成長を待っているのかもしれません。

 

 16日の神宮でのヤクルト戦、2回に山口俊にスクイズをさせました。序盤から送りバントはしないと言う原監督ですが、それが序盤からスクイズなんて高校野球戦法ですよ。加えてダブルスチールを仕掛けたり、ときにはド派手な空中戦で勝利をものにする。小技も大技も織り交ぜて、セオリーや周囲の目を気にしないのが原野球の真骨頂なんでしょうね。

 

 また原監督は用兵もうまい。今、田口麗斗が中継ぎで生き生きと働いていますが、あれは7月9日、甲子園の試合で蘇りましたね。1対0とリードした9回裏、スコット・マシソンがマウンドに上がって、ポンポンと2アウトをとった。そこで原監督がマウンドに行って、「ピッチャー、田口」ですよ。外国人選手はインセンティブがありますから、セーブとか数字が減るのを非常にイヤがります。でも原監督自らがマウンドに出向いたわけで「あと1人、譲ってくれないか」と言ったわけですから、マシソンも「ボスが言うなら」と納得の降板。それで田口が出てゲームセット。選手をやる気にさせる見事な起用法でした。

 

 2位の横浜DeNAとは6.5ゲーム差(24日時点)。少々、連敗しても巨人のV確率は100%と言い切ってしまいましょう。あえて弱点を探すとしたらライアン・クック、澤村拓一の不安定なピッチングでしょうか。クックはボールが高いので、1点を争う場面で外野手が前に出て来られない。高めのボールはミートされると外野の頭を越えるから、攻めた守備ができないんですね。澤村はマウンド上での雰囲気がない。不用意なフォアボールを与えたり、「あーあ」ということが多い。7月末のトレード期限まで一週間を切りましたが、もしかしたら……なんてことも考えてしまいます。

 

 あとは丸、坂本のケガですね。序盤、今年こそスタメン確保と見られていた吉川尚輝がケガで離脱しましたが、丸、坂本がケガをして離脱したら吉川尚の比ではありません。まあ、原監督もそのあたりはわかっているようで、うまく2人を休ませながら使っていますね。

 

 さて、今回はパ・リーグに触れる余裕がありませんでしたが、こちらはまだまだ火は消えていません。次回は夏の"混パ"についてお話できればと思っています。では、また。

 

<鈴木康友(すずき・やすとも)プロフィール>
1959年7月6日、奈良県出身。天理高では大型ショートとして鳴らし甲子園に4度出場。早稲田大学への進学が内定していたが、77年秋のドラフトで巨人が5位指名。長嶋茂雄監督(当時)が直接、説得に乗り出し、その熱意に打たれてプロ入りを決意。5年目の82年から一軍に定着し、内野のユーティリティプレーヤーとして活躍。その後、西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。92年に現役引退。その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチ、07年、BCリーグ・富山の初代監督を務めた。10年~11年は埼玉西武、12年~13年は東北楽天、14年~16年は福岡ソフトバンクでコーチ。17年、四国アイランドリーグplus徳島の野手コーチを務め、独立リーグ日本一に輝いた。同年夏、血液の難病・骨髄異形成症候群と診断され、徳島を退団後に治療に専念。臍帯血移植などを受け、経過も良好。18年秋に医師から仕事の再開を許可された。18年10月から立教新座高(埼玉)の野球部臨時コーチを務める。NPBでは選手、コーチとしてリーグ優勝14回、日本一に7度輝いている。この6月からTwitter(@Yasutomo_76)も開始した。


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