日本人2人目のプロゲーマーのたぬかな(本名:谷加奈)は徳島県徳島市で生まれた。父・幸治は大のゲーム好き。“門前の小僧習わぬ経を読む”ではないが、谷家にはゲームを親しむ素地ができあがっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 父は格闘ゲームの『ストリートファイター』、パズルゲームの『テトリス』をやり込んでいたという。たぬかなが物心がつき始めた頃にはプレイするタイトルも変わっていた。彼女自身、ゲームは見るのもやるのも好きだった。

「(サバイバルホラーゲームの)『バイオハザード』はまるでホラー映画を見ているようで、楽しかった。その頃はいろいろ高性能なゲームが出始めていて、見ていても面白かったんです」

 

 父・幸治は述懐する。

「手元にいろいろなゲームがあった。お姉ちゃんと弟の影響もあり、私がゲームに触らなくなってからも夢中になっていました。3人おるから、それぞれのお小遣いやお年玉などでいろいろなゲームを買える。そういう意味では恵まれた環境におったのかもしれません」

 

 たぬかなには2歳上の姉、2歳下の弟がいた。1階の1部屋を分け合い暮らした3きょうだいは、夜中までゲームすることもあった。両親は上の階におり、“監視体制”は厳しくない。外で遊ぶのも好きだったが、自分たちの部屋も最高の遊び場のひとつだった。

 

 時には弟が対戦相手となり、姉が見本となることもあった。

「弟は年頃の男の子並みにやっていました。お姉ちゃんは私たちには難しいゲームを先にやってもらい、それを見ていることが多かったですね」

 そして両親からはゲームを止められることはなかった。「悪さをしたらゲーム没収という感じでしたね」と、たぬかなは振り返る。

 

 たぬかなが、初めて触ったのはスーパーファミコンの『ドラゴンクエストⅥ』だった。『鉄拳』は発売されていたものの、この頃はまだ格闘技ゲームにハマッていない。

「全く興味がなかったですね。『デッド オア アライブ』が出た頃は絵がキレイだったので少しプレイしましたが、やり込むほどではありませんでした」

 

 父・幸治によれば、たぬかなは「とにかく男勝りで負けず嫌い。走り回り、活発な子でしたね」という。小学校は少年団で男子にまじってサッカーをやっていた。高学年になると男子とのフィジカルの差に苦しむようになり、サッカーは小学校卒業まで続かなかった。中学校ではソフトテニス部に入った。理由は「ユニフォームが可愛かったから」である。強豪校ではなく、目立った成績は残せなかった。それでも部活は卒業するまで続けた。

 

 ゲームセンターに通った高校時代

 

 高校入学後は女子サッカー部がなかったため、サッカー部のマネージャーになった。「あまりのおもんなさに1カ月ほどで辞めました」。根っからのプレイヤーなのだろう。マネージャー業は、たぬかなの肌には合わなかった。

 

 その後は部活に所属せず、友人たちとゲームセンターに通った。ゲームはずっと好きだったが、ゲームセンターは彼女にとって「プリクラを撮る場所」に過ぎなかった。それがアーケード機器に触れ、いろいろな人たちとの出会いの場となった。対戦相手、指導者、ファンと呼べるような存在がいたと想像できる。

 

 格闘ゲーム『鉄拳』シリーズをプレイするようになったことはこの頃だ。現在、メインキャラクターのリン・シャオユウではなかった。「最初は使いこなすのが難しいキャラクターを選んでいました。それで他の方からアドバイスをもらいながら、私には今のキャラが向いているということで落ち着きました」

 彼女のルーツはゲームセンターにもあった。

 

 ゲームセンターは自宅からは自転車で1時間以上かかる場所にあった。それでも友人たちと足しげく通ったのは、彼女にとってそれが部活のような感覚だったのだろう。とはいえ部活動もせず、ゲームセンターに通う日々を快く思わない人もいる。

 

 父・幸治もそのひとりだった。

「当時プロゲーマーは一般的ではなく、先が見えないものだったので……。ただ遊ぶお金は自分のアルバイトで捻出していましたから、僕も静観していましたね」

 

 谷家には19時過ぎから20時ぐらいまでに帰宅しなければならない門限があった。それでは高校の授業が終わった後の2時間半ほどしかゲームに充てられない。アルバイトがある日はさらに短くなる。たぬかなが“少な過ぎる”と感じても不思議ではない。しかし、彼女には門限を過ぎてもゲームセンターに通う“裏技”があった。家にはアルバイトの終了時間を延ばして申告していたのだ。

 

 嘘は思わぬかたちでバレてしまった。ある日の帰り道、たぬかなは交通事故に遭ったのである。幸い大事には至らなかったが、迎えに来た父・幸治は異変に気付いた。事故現場は、どう考えてもアルバイトの帰り道ではなかったからだ。つまりゲームセンターから帰るルートだった。父からの大目玉を食らったことは言うまでもない。ただ、それでも父は「ゲームをやめろ」とは口にしなかった。

 

 父・幸治はその理由をこう語った。

「他のことが疎かになるほどのめり込んでいたら、違ったかもしれませんが、節度は守っていた。それにある程度の年齢にもなっていたので、“自由にさせてやろう”という気持ちもありました。夢中になれるものがあって、それをブレーキかけられたら、僕の立場ならイヤでしたからね」

 

 幸い、周囲が彼女とゲームを引き裂くことはなかった。高校卒業後は設計士として建築系の企業に入社した。ゲームは変わらず好きだった。たぬかなは当時、地元では名の知れた実力者であったが、それを生業にすることまでは考えていなかった。

 

(第3回につづく)

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たぬかな プロフィール>

1992年11月21日、徳島県徳島市生まれ。本名は谷加奈。CYCLOPS athlete gaming所属、日本国内2人目の女性プロゲーマー。父親の影響で小さい頃からゲーム好き。高校時代から『鉄拳』をプレイし始める。建築、アパレル勤務を経て、16年11月、CYCLOPS athlete gamingに入団。17年5月、Combo Breaker 2017で3位入賞を果たした。MBS『YUBIWAZA』に準レギュラーとして出演中。鉄拳シリーズでの各タイトル段位はBR紅蓮/タッグ鬼神/7聖帝/FR煌帝。使用キャラクターはリン・シャオユウ。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

 


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