福本拓海は3人兄弟の次男として愛媛県松山市で生まれた。父親・雅則がサッカー経験者だったこともあり、兄弟みんながサッカーを始めるのはごく自然な流れだった。福本は4歳からサッカーを始め、幼稚園に入園するとエルピススポーツアカデミーというサッカークラブに入る。

 

(2019年9月の原稿を再掲載しています)

 

 当時から運動神経が良かったため技術の習得は早かった。父・雅則は述懐した。

「拓海がボールを持っていて、みんながボールを奪いに集まってくる。すると拓海はトンとボールを浮かし、みんなの足の上を器用にかわしていくんです。でたらめに蹴るのがほとんどだと思うんですが、拓海は年中くらいからそんなことをやっていました」

 

 また、幼稚園生の時からすでにサッカーのコツを心得ていたという。一般的に幼稚園くらいのちびっ子サッカーはポジションを決めずに自由にボールを追いかける。そのため、子どもがボールに群がる、いわゆる“団子サッカー”になりやすい。ところが、ここでも福本は周囲の子どもたちと違っていた。

 

「団子には入らずに、外で待っていた。ボールが集団の外に出てきたら、それを取りに行っていたんです」(福本)

 

 父・雅則も当時の福本の様子を語る。

「ボンボンと蹴り合ってだんだんと団子になる。拓海はその中には加わらずに、ずっと外でボールが出てくるのを待つんです。それでボールを拾うと、人がいないところにドリブルでボールを運ぶんです。僕が教えたのはボールの蹴る、止めるといった基本的なことだけ。サッカーに関しては小さい頃から頭が良かった。プレーの要領は良かったと思いますよ(笑)」

 

 チームプレーを学んだ幼少期

 

 福本はボールのないところの動きでマークを外し、一瞬の動き出しで相手を置き去りにするタイプのストライカーだ。すでに幼少期から無駄なく、要領良く、ボールを受けていたのだ。

 

 父曰く「幼稚園くらいの時はチームの中で少しワンマンプレーが目立っていた。それがサッカーを通じて、チームワークの大切さを学んだんでしょう。だんだんと性格も穏やかになっていった」。技術的な指導はコーチに任せていた。サッカー経験者の父は、それ以外の部分を厳しく指導した。それは「頑張り時に手を抜かないこと、仲間のためにプレーをすること」だ。

 

 福本は笑みを浮かべながら、当時を振り返る。

「たとえ試合に勝っても気を抜いたプレーが1つでもあると叱ってくれました」

 

 抜群のテクニック、スピード、頭の良さを兼ね備えたエースはチームのために懸命にプレーした。その甲斐があり、香川・丸亀で行われた大会で準優勝を果たす。なんと、決勝の相手は小学1年生だったという。PK戦までもつれる接戦だったが、惜しくも敗れた。成長期における1学年差のハンデは大きい。「僕の代はうまい子たちが揃っていて、強かった」と福本は懐かしそうに口にした。

 

 テクニックに磨きをかけつつ、チームプレーも学んだ幼少期。福本は地元の味酒小学校に進学したが、サッカークラブは隣の小学校の宮前サッカークラブに入る。6年生の時に、彼はほろ苦い経験をするのであった。

 

(第3回につづく)

 

<福本拓海(ふくもと・たくみ)プロフィール>

1997年8月3日、愛媛県松山市出身。エルピスSA-宮前SC-帝人SS-済美高校-慶應大学。2つ上の兄の影響でサッカーを始める。済美高校では1年時からトップチームの試合に出場した。2016年4月に慶應大学ソッカー部に入部。今季からレギュラーに定着。1トップ、もしくは2シャドーの位置でのプレーを得意としている。身長175センチ、体重67キロ。

 

(文・写真/大木雄貴)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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