福本拓海は地元の味酒小学校に入学した。この頃から彼は読書が趣味になる。

「歴史のゲームが好きだったんです。それがきっかけで歴史の本を読むようになりました」

 

 

 

 

 

 

 

 父・雅則は驚いたように、こう語った。

「僕も家内も読書を薦めたことはなくて、拓海が知らず知らずのうちに“この本、買ってほしい”と言うようになり、自分でも本を買ってくるようになりました」

 

 サッカーでは幼稚園時代から中心選手だったが、学校生活ではおとなしい方の子どもだった。父曰く「学校では気配を消すような感じ」である。しかし、消極的な子どもとは違う。福本は年下に好かれる傾向にあったという。

 

「サッカーの練習がないときは近所の子たちと大きな公園で遊ぶんです。年下の子たちが僕を慕ってくれ、よく一緒に遊びました。サッカーもしたし、缶蹴りや鬼ごっこをしました。その影響かわかりませんが、今でも小さい子たちと遊ぶのが大好きです」

 

 インタビューをしていても、どこかつかめない。柔らかい雰囲気で話す姿、言葉を慎重に選ぶ姿、“自分の考えはこうだ”と主張する姿……。それが彼の魅力だと思った。

 

 福本は地元の味酒小学校に進学したが、サッカークラブは隣の小学校の宮前サッカークラブ(宮前SC)を選択した。父親の知り合いが宮前SCでコーチをしていて、2つ上の兄が先に入団していたことが理由だった。

 

 宮前SCでのスケジュールは月、水、金に練習があり、基本的に土日は試合が組まれていた。福本はサッカー漬けの日々を送り、全国大会を経験するのだ。最初に全国大会に駒を進めたのは小学4年生の時だった。福本は2つ上の学年に混じってプレーしていた。持ち前の足の速さを生かし、前線で活躍していたという。

 

「小学生の時は蹴って、走っての身体能力頼みのサッカーだったような気がします。僕は背が伸びるのも早かった。4年生で出場した全国大会はグループリーグで1勝か2勝はしたような覚えがありますが、予選で敗退しました」

 

 小学6年時の涙

 

 そして、自身が最高学年になり、キャプテンに就任した年のことを寂し気な表情で語った。

「自分が6年生の時も全国に“連れて行ってもらった”んですが、グループリーグで1勝もできませんでした」

 

 私が「連れて行ってもらったとは?」と水を向けると、福本は続けた。

「4月の広島で開催された大会で左足を骨折してしまったんです。ゴールキックでハイボールが飛んできた。ヘディングで競ればよかったものの、足を伸ばして着地に失敗したんです。骨折した上に、骨がずれてしまったので手術をしないといけなくなってしまった……」

 

 術後、2週間ほど車いす生活。そして2カ月、松葉杖をつくことを余儀なくされた。その間にチームメイトはキャプテン抜きで予選を勝ち上がり、全国大会に進出したのだ。骨折明けで出場した全国の舞台。「思うように体が動かなかった。気がついたら終わっていた……」と福本。仲間のために結果を出せなかった現実が少年の胸を締め付けた。

 

「最後は悔しくて泣きました。すると、厳しかった父も泣きながら慰めてくれたんです」

 

 父・雅則は当時をこう振り返る。

「本人はいろいろ思うところがあったとはずなんです。今まで中心選手でやってきたのに、“拓海抜きでも全国に行ける”という感じでしょうか……。本人は直接言われたのか、噂が回りまわって耳に入ったかはわかりませんが、責任を感じていましたね」

 

 これまで大黒柱としてプレーしてきた自負があった。だからこそ、仲間のためにと思ったが結果はグループリーグ全敗。責任を感じたエースは堰を切るように涙を流した。

 

 この経験も影響しているのではないだろうか。中学に進学すると父は息子の変化に気がつく。「周囲に気を遣うようになったように見えました。試合に出られる子がいれば出られない子もいます。自分の立場や他の子の立場を考えられるようになった」

 

 福本にとって、それほど小学6年生の全国大会はほろ苦いものだっただろう。だが、幼いながら、この経験からきちんと大事なことを学んでいた。

 

 彼は中学に進学後、部活ではなく、強豪クラブを選択する。ここでメキメキと力をつけて、今後の進路をサッカーで切り拓いていくのだった。

 

(4回につづく)

 

<福本拓海(ふくもと・たくみ)プロフィール>

1997年8月3日、愛媛県松山市出身。エルピスSA-宮前SC-帝人SS-済美高校-慶應大学。2つ上の兄の影響でサッカーを始める。済美高校では1年時からトップチームの試合に出場した。2016年4月に慶應大学ソッカー部に入部。今季からレギュラーに定着。1トップ、もしくは2シャドーの位置でのプレーを得意としている。身長175センチ、体重67キロ。

 

(文・写真/大木雄貴)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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