石川ミリオンスターズの矢鋪翼です。5年目の今季、最多セーブのタイトルに輝きました。石川に入って初めてチームの役に立てたシーズンだったと思います。昨年の契約更改の場で「来季は今季以上にやってもらいたい。期待しているぞ」と球団から発破をかけられ、それに応えられて今はホッとしています。

 

 前コーチの助言

 今季、開幕に向け取り組んだのはトレーニングメニューの強化とピッチングフォームの変更です。トレーニングメニューの強化は、前コーチの多田野数人さんから連絡があり、「結果を残すためには自分の嫌いなことをやらないとダメだ」とアドバイスされたのがきっかけです。自分のこれまでを振り返ってみたらトレーニング全般が苦手というか嫌いでした。中でも特に下半身トレが……。苦手なりに上半身のトレーニングはやっていたのですが、多田野さんに言われてからは下半身トレにも真剣に取り組むようになり、もうオフの間は徹底的に自分をいじめていじめ抜きましたよ。

 

 ピッチングフォームは左足の使い方を変えました。昨季まで上げた左足をそのまま降ろしていましたが、それを三塁方向に伸ばしてから降ろすようにしました。参考にしたのは動画サイトで見た埼玉西武の松本航投手のフォーム。それをマネしてみようといろいろやっているうちに新フォームが固まった感じです。以前のフォームよりもタメができ、体重移動もよりできるようになりました。

 

 オフの間は動画サイトやスポーツニュースを良く見ています。NPBのキャンプレポのブルペン風景なんて「何かヒントがあるんじゃないか」と、それこそかじりついていましたよ。入団3年目にオーバースローからサイドスローに転向してからは、特に自分と似たタイプの投手のフォームは何度も見て、得るものがないか探っていました。

 

 サイド転向は、変わるきっかけが欲しかったからです。15年に18試合、16年に12試合、17年に11試合に投げましたが、防御率も6から10点台と全然たいした成績じゃありませんでした。それで17年の後期くらいから「何か変えよう」と思い、周囲のアドバイスもあってサイドに転向。最初はしっくりきませんでしたが、ひたすらネットスローを繰り返して自分のものにしていきました。このときも多田野さんからグラブの使い方などを細かく教えてもらいました。

 

 あとオフの間に取り組んだのは脱力したフォームで投げ、最後、リリースのときに指先に力を集中すること。こうすることでボールに良い回転、いわゆるスピンがかかるんです。最速143キロの僕のようなタイプでもストレートで空振りを取ったり、ファウルを打たせられるのはこのスピンのおかげでしょうね。

 

 今季、13セーブをあげチームに貢献できましたが、開幕前、武田勝監督から「抑えでいくぞ」と言われたわけじゃないんです。オープン戦では7回、8回に登板していたので、「ロングリリーフ、もしくはセットアッパーだな」と。それで迎えた開幕戦、ベンチに登板予定表があるんですが、僕のマグネットが9回のところに貼ってあった。それで「あ、今季はここ(抑え)か」とわかりました。当然、緊張はしましたが、任されたところでしっかりやるだけだと、いい意味で開き直ってマウンドに上がりました。マウンドでやることは腕を思い切り振って自分のピッチングをするだけだ、と。

 

 9月にはBCリーグ選抜のメンバーとしてNPBの巨人、オリックスと対戦しました。巨人打線は以前も対戦したことがあり、そのときと同じく抑えることができました。オリックス戦は1戦目で調子が良かった分、「これはスピード出るんじゃないか」と気負ったのかフォームがバラバラで散々なピッチング。でも2戦目はその反省も踏まえ、ゼロに抑えられました。NPBと対戦すると支配下の選手はやはり雰囲気もあるし、ちゃんとバットに当ててきます。でも育成選手との対戦では、そんなに差はないと感じました。

 

 目標は当然、NPBドラフトで指名されることです。野球を始めたときから「プロ野球選手になる」のが夢だったし、高校時代(金沢向陽高・石川)も周囲に「絶対にNPBに行く」と公言していました。県大会でほぼ一回戦負けの県立校だから、周りはあまり信じていませんでしたが、そういうところからNPBに行って「すごいな」と驚かせたいし、他の学校も含めて後輩たちの励みにしたい。

 

 高校1年の夏から背番号1をもらって、先輩たちの夢、そして自分たちの夢のために投げてきました。1年の夏はプレッシャーというよりも、先輩たちが信頼してマウンドに送り出してくれたのが嬉しかったのを覚えています。部活引退後、進路を考えていたとき監督から「ミリオンスターズから話があった」と聞き、大学や社会人しか頭になかったんですが「行きます!」と即答しました。そのときがNPBに向けて一歩踏み出した瞬間で、そこから石川で5年、ようやく(NPBが)見えてきた感じです。

 

 今季のセーブ王はバックを守ってくれた野手陣、1イニングでも長くと踏ん張った先発投手とそこからバトンをつないでくれた中継ぎ、そしてバッテリーを組んだ喜多さん(亮太・捕手)のおかげです。それと武田監督には「5回まではリラックスしてていい」と、マイペースで調整させてもらいました。そして、ファンの皆さんはいつも最終回のマウンドに向かう僕に大きな声援を送ってくれました。最高の形で恩返しができたらいいと思っています。これからも応援よろしくお願いします。

 

<矢鋪翼(やしき・つばさ)プロフィール>石川ミリオンスターズ
1996年4月26日、石川県出身。野球を始めたのは小学校4年生。小6から本格的にピッチャーに転向し、中学時代はボーイズリーグでプレー。高校は県立金沢向陽高校へ進学。同校野球部で1年夏から背番号1を背負い3年間プレーした。卒業後の進路は大学、社会人と考えていたところ石川ミリオンスターズからの誘いを受け入団。主に中継ぎを務めながら3年目にオーバースローからサイドスローに転向。これが転機となり18年、セットアッパーとして22試合に登板した。19年、開幕からクローザーに抜擢され、30試合に登板。33回2/3を投げ、防御率0.81とキャリアハイの成績をマーク。13セーブ(4勝1敗)をマークし、最多セーブ王に輝いた。身長183センチ・体重86キロ。右投右打。

 

(取材・文/SC編集部・西崎)


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