心のアドバンテージと引き出しの多さで勝つ(鈴木雄介)<後編>
二宮清純: やはり競歩は膝を痛めやすいのでしょうか。
鈴木雄介: そうですね。あのスピードで脚を伸ばしますから、どうしても膝に負担がかかってしまいます。
<この原稿は2015年7月号『第三文明』(第三文明社)に掲載されたものです>
二宮: 2本の脚で速く歩こうとすると、普通は走ってしまいますよね。それを抑えて進むということは、ある意味でとても抑制的な競技のように思えます。しかし、ゴールキーパー以外手を使わないサッカーや、前にボールを出せないラグビーなど、抑制的な競技ほど奥が深くおもしろい。
鈴木: 僕もそうだと思います。それに競歩はルールが厳しいとは思わない。反則は2つしかありませんから。サッカーは、オフサイド、ハンドなど制約がたくさんありますよね。
二宮: 世界記録を出して、競歩の「奥義」のようなものは掴めましたか。
鈴木: どうですかね(笑)。ただ競歩は体を動かすコツを考える競技だと思います。ルールにのっとって速く歩くためには、どういう体の使い方をしなければいけないかを考えなければなりません。もちろん、きれいなフォームを目指せば速くなりますが、それを見つける作業は、奥深いものがあります。
二宮: 鈴木さんのフォームは「世界一美しい」と言われています。自分で映像をチェックすることもあるのですか。
鈴木: ええ。ただ今の段階でフォームに関しては大きく改善する必要はないので、体のバランスの調整などに気をつけています。
二宮: 具体的に言うと?
鈴木: 僕の場合は、左肩がやや内に入りやすいんです。そうすると、体重が左脚に乗り過ぎて、股関節への負担が大きくなります。長く速く歩くためには、そうした疲労を分散することが大事なので、そのクセが出たときはコーチから、意図的に右を前に出し、左を後ろに引くイメージで歩くことを指示されます。
二宮: なるほど。勤務先は富士通です。コンピューターによる動作解析などができるとおもしろいですね。
鈴木: それはぜひお願いしたいです(笑)。目視ではしていますが、それをデータとして数値化して解析できれば、新たな発見があるかもしれないですね。
二宮: 余談ですが、僕は、競歩の選手以外で速く歩く一般人は「不動産会社の社員」ではないかと思っています。
鈴木: 不動産会社の社員ですか?
二宮: ええ(笑)。先日、不動産会社に行ったのですが、歩き方を見ているとスタスタと忍者のように歩くんです。10分かかるような距離を5分ほどで歩いて、「ほら、5分でしょ?」と言う。遅く歩くと、「駅から遠いじゃないですか」とお客さんから指摘されて商売にならないですからね。
鈴木: 必然的に競歩になっているわけですね(笑)。
二宮: だから、日ごろの訓練で人間は相当速く歩けるんじゃないかと。
鈴木: もちろんそういう面もあります。でも僕は、ただ歩く延長が競歩だと思っています。姿勢よく歩けば、おのずとそれが競歩になります。腰を落として猫背で歩くと膝が曲がりますが、膝を伸ばして歩くと美しく見えます。その代表がモデルのウォーキング。モデル歩きのスピードを上げれば、競歩になりますね。
二宮: なるほど。確かに姿勢がいいと美しく見えますね。
鈴木: 競歩をやり始めたばかりの人がベント・ニーになりがちなのは、「前に行きたい」という気持ちが強すぎるからなんです。そのため、どうしても汚いフォームになってしまいます。
二宮: 美しく、かつ速く歩くために大事なことは何でしょうか。
鈴木: 軸がぶれないことが大事です。体の軸が一本しっかりと定まっているイメージで、股関節や胸郭や肩の関節など、ほかの部位が柔らかく動くと、きれいに速く歩けます。
二宮: 100メートル走などの短距離種目は、やや前かがみで走ります。
鈴木: 最初の加速は前傾姿勢ですが、一流選手は中間疾走になると体を立たせます。体重をしっかり乗せた状態で地面をバンと蹴る。ウサイン・ボルト選手(ジャマイカ)の走りを写真撮影すると、片脚が地面に着いた瞬間は競歩と同じ格好をしています。重心がしっかりと、真下にかかっているということです。
二宮: 競歩も短距離も長距離も速い選手は、まるで一本の軸が動いているように見えますね。以前、100メートル走のトップの選手と話をした時に、「大事なのは重心で、そのために丹田(へその少し下のあたり)を意識する」と言っていましたが、競歩の場合はどうですか。
鈴木: 重心は人それぞれだと思います。僕の場合は、へそとみぞおちの2点。その二点をギュッとサンドイッチするような感じで歩くと自然と力が出ます。
二宮: 腹筋を締めるような感覚だと。
鈴木: はい。自分の重心がわかっていると、ズレた歩き方をしたときに気付く。その分、修正が可能なんです。脚で歩くというよりは、軸を動かす。脚や腕は勝手に動いているようなイメージですね。
二宮: 8月には中国・北京で世界選手権があります。そして来年8月にはリオ五輪があるわけですが、鈴木さんは世界記録を出したことで、追われる立場になるでしょう。周囲もこれまでとは違うレース展開を仕掛けてくるのでは?。
鈴木: 僕のなかでは、いろいろなパターンを想定できているので、その気持ちの余裕がある分、有利だと思っています。
二宮: どんなレースパターンでも対応できる自信があると?
鈴木: はい。数年前から日本の大会でいい記録が出せるようになり、自分のなかの引き出しが増えていきました。それを国際大会で試してきましたが、そのテストが非常にうまくいっています。はじめから前に出る勝負、ラストのスプリント勝負、中盤から急にハイペースに切り替えて、そのままゴールする戦法など、さまざまな作戦が立てられるようになりました。
二宮: レースは心理戦でもありますからね。引き出しの多さはアドバンテージになります。
鈴木: ですから今は80%の状態で本番に臨めれば、表彰台に上がれる自信はあります。リオの20キロで金メダルを獲得し、次の東京では50キロで金メダルを取ることが最大の目標です。欲を言えば、東京では2種目での優勝を狙いたいですね。
二宮: 鈴木さんの活躍で、競歩に対する関心が高まったと思います。鈴木さんにとって、競歩の魅力とは?
鈴木: マラソンと比べると、スパートしたときのタイム差がすごく大きいのが特徴です。競技としては、差が一気に広がったり縮まったりするので、レース展開の急激な変化は楽しめるのではないでしょうか。また、採点競技のように、フォームの美しさを比較するのもおもしろいと思います。
二宮: 自分がやる場合にはどうでしょうか。
鈴木: 健康ウォーキングとして取り組めば楽しいと思います。ランニングだと、どうしても脚首や膝やふくらはぎを痛めてしまうことがある。しかし、競歩は本格的にやらない限り、ケガは少ないんです。健康のためにはとても向いているスポーツだと思います。
二宮: 走るとなると、大変かもしれませんが、競歩であれば、始めやすい利点はありますね。
鈴木: 歩くことが競歩なので、あまり深く考えずに、競歩をベースとしたウォーキングと考えてもらったほうがいいかもしれませんね。競歩の歩き方は、実は体を楽に動かすための歩き方なので、ストレスや疲れが少なくて済むし、汗も相当かいてダイエット効果もあると思います。
二宮: 東京のサラリーマンは歩くのが速い。企業対抗の「サラリーマン競歩大会」なんてあっても、おもしろそうですね(笑)。
鈴木: それ、いいですね(笑)。明らかに走っている場合に失格とする程度のルールで、それほど厳しいものでなければ、誰でも簡単に参加できると思います。
二宮: 老若男女が楽しめる競技としてもっと盛んになるといいですね。
鈴木: ありがとうございます。そのためにもリオ五輪で結果を残したいと思います。
(おわり)