「東京オリンピックのマラソン、競歩を札幌で開催する。アスリートファーストの見地から、我々はその判断をした」

 10月16日の夜、IOCが突然そのような声明を出した。

 

 これに東京都庁内は騒然。小池百合子知事はおろか、誰も初耳な状態で報道によって知るという状態だ。大会組織委員会内でも同様で、少なくとも現場組のスタッフは驚いたという。

 

 2013年9月、東京での開催が決まったオリンピック・パラリンピック。当時の招致条件は7月15日から8月31日までの開催。これはIOCとOBS(オリンピックブロードキャスティングサービス)との約束により動かせない条件。これを承知で東京都は誘致し、それを承知でIOCは承認したはずだ。

 

 ところが、予想以上に地球温暖化は進み、東京の気温が想定よりも高いことが判明。東京都は懸命に暑さ対策に取り組み、競技の成立に向けて努力を重ねた。遮熱舗装やミストシャワー、街路樹せん定調整による日陰作りのようなハード面から、氷や水を配るソフト面までたくさん講じてきた。どれも一つでは十分ではないが、組み合わせると一定の効果があることも実験で分かってきた。さらに、スタート時間の調整なども進め、IOCが「オリンピック新記録」と称賛するくらい準備は整っていた。

 

 そして開催まで9カ月の段階で、このようなIOCの発表。

 すでにチケット販売は進んでおり、運営計画も固まってきたタイミングだった。

 

 イベント運営的に考えると、この段階からの開催地変更はかなりのリスクで、チケットの払い戻しなど序の口、その人たちが取っていたアコモデーションや交通手段のキャンセル請求、北海道では不足している警備員は東京から送り込むことになるのでその交通、宿泊費。ボランティアも手配し直す経費、そして運営計画を練り直す経費。これらを合わせると相当な金額になる。これに東京都の遮熱舗装対策など無駄になった費用を加えると目まいがしそうである。

 

 さらに、新しいコースをつくるとなると、これから雪に覆われる札幌では春にならなければ計測でさえ難しい。都市マラソンは通常3年程度の時間をかけて制作される。いくら五輪とはいえ、9カ月で開催するのが難しいのは、すでに関係者のコメントがいくつも出ている通り。大規模マラソンの運営関係者は「現場の知らない人が決めたことだ」と言い切る。時間的に経済的にも現場でのハードルは高いようだ。

 

 そしてここまで、経費も人も最も出して準備してきた東京都には相談がなく、IOCと組織委員会で決まるという不可解。ちなみにこの大会主催者は、東京都、組織委員会、日本国という3者である。その主催者に相談もなく決まるというのは常識的にも考えられない。

 

 そもそも暑さに関しては決定してきた段階から分かっていた。そのために6年間準備し、トーマス・バッハ会長も「新記録」と言ったのではなかったのか。そもそも8月開催の縛りを作ったIOCが今さらアスリートファーストを言うなんて!? 昨今の気候の中で、8月にマラソンが快適にできる国など限られてくる。次回開催地はパリだが、今年の夏は熱波に覆われていたので実施など到底不可能。とすると、もはや五輪開催は緯度の高い国でないとできないということになる。ともあれ、「アスリートファースト」は時期を変更することが妥当であろう。

 

 なぜ今の段階で言い出したのか。先日開催されたドーハの世界選手権マラソンにおいて棄権者が続発したことが起因していると言われている。要するにそれを見て危機感を持ったのか、スポンサーや放送局から懸念を示された結果であろう。どちらにしても「アスリートファースト」などというロジックは後付けであることが分かる。

 

 札幌開催の不可解

 

 そしてなぜ札幌という都市限定なのか? そもそもこの時期の札幌が涼しくないことは行ったことのある方なら周知の事実。彼らのコメントでの6度低いと記載されているが、その程度であれば東京も日が昇る時間までにやればそうなるし、他の場所でも選択肢がないわけではない。先に述べた様々な手間を考えるなら、場所変更の前にもう少し再検討することがあったはず。しかしいきなりの札幌開催。なにか素直に受け取れないという方も少なくないはずだ。

 

 さて肝心の選手はどうだろう?

 日本ではこの暑さの中で戦える選手を選考してきたのではなかったのか、それに向けた強化準備をしてきたのではなかったのか。だから予選であるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)も東京で開催したのではなかったのか。さらに言えば湿度が高くて暑いレースはアジア人が得意とするところ。アングロサクソン系やアフリカ系の選手は得意ではない。つまり暑いレースの方が日本選手の活躍のチャンスはある。涼しくなり、好記録の出やすいコンディションになると、日本選手のスピードではなかなか太刀打ちできない。これは長距離系スポーツに取り組んでいる人なら分かるはずだ。

 

 今回、IOCのバッハ会長も、組織委の森善朗会長もしきりに「アスリートファースト」を口にする。

 しかし、ここまで書いたように本当にそう思っていたなら、この時期までに判断することができたはずだ。それを選手にも主催都市にも散々準備させておいて、最後に「違う場所が好ましい」とは……。なんだか「アスリートファースト」を言い訳に使っているだけのような気がしてならない。

 

 この原稿を書いている最中に、「IOC会長が札幌開催決定」というニュースが入ってきた。状況を考えると、現場の問題ではなく何らかの政治的な意図が働いていることは多くの方が感じるだろう。オリパラ大会に向けて大きなシミを残す今回の騒動、皆さんはどのようにお考えだろうか……。

 

白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール

17shiratoPF スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦していた。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。08年11月、トライアスロンを国内に普及、発展させていくための会社「株式会社アスロニア」を設立、代表取締役を務める。17年7月より東京都議会議員。著書に『仕事ができる人はなぜトライアスロンに挑むのか!?』(マガジンハウス)、石田淳氏との共著『挫けない力 逆境に負けないセルフマネジメント術』(清流出版)。最新刊は『大切なのは「動く勇気」 トライアスロンから学ぶ快適人生術』 (TWJ books)

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