今季の日本シリーズ、福岡ソフトバンクホークスは巨人を相手に4連勝で日本一を決めた。ホークスは3年連続10度目の日本一となった。指揮を執るのは工藤公康監督だ。指揮官は現役時代、14度のリーグ制覇、11度の日本一を経験し、“優勝請負人”と呼ばれている。その工藤監督に14年前にインタビューで、当時のベストゲームについて訊いた。彼が挙げてくれたのは、99年の日本シリーズだった。優勝請負人は何を考え、マウンドに立っていたのか――。

 

 <この原稿は2005年5月発売号『Number』(文藝春秋)に掲載されたものです>

 

――: この4月でナンバーが創刊25周年を迎えました。

工藤公康: 僕は今季がプロ入り24年目。あと1年早く入団していたらナンバーと同期だった(笑)。

 

――: 現役選手ではプロ野球最年長。5月5日で42歳になります。

工藤: 長いというか、しつこいというか(笑)。

 

――: 昨季までの成績は520試合に登板し、201勝118敗3セーブ、通算防御率3.29。奪三振2566。日本シリーズでは26試合に登板し、8勝5敗3セーブ、防御率2.39。通算奪三振数102は史上最多です。日本一にも11回輝いていますが、これまでのベストゲームは?

工藤: 理想とするピッチングができたのはダイエー時代の99年の日本シリーズです。相手は中日でした。

 

――: はっきり覚えています。工藤さんは初戦に先発し、13三振を奪う力投で完封勝ちしました。被安打6。下馬評は「中日やや有利」だったのですが、この勝利で勢いに乗ったダイエーが投打ともに中日を圧倒し、4勝1敗で初の日本チャンピオンになりました。両手を大きく伸ばした王貞治監督の胴上げシーンが忘れられません。

工藤: この年はシーズン中から調子がよかった。ピッチャーとして理想的なボールをイメージした配球通りに投げることができました。バッターに対する観察はもちろん、ネクストバッターズサークルの様子まで窺う余裕があった。あんなシリーズは後にも先にも99年だけです。

 

――: その余勢を駆ってシリーズに臨むことができたわけですね。

工藤: そうです。この年の中日で最も警戒を要するバッターはトップの関口浩一と4番のレオ・ゴメスでした。関川君が出塁し、ゴメスが迎え入れる。それが基本的な得点パターンでした。

 

――: 2人の99年の成績を見ると、トップの関川が打率3割3分、4本塁打、60打点、20盗塁。4番のゴメスが打率2割9分7厘、36本塁打、109打点。とりわけトップの関川は、しばしば一塁へヘッドスライディングを敢行するなど、星野仙一監督好みの切り込み隊長でした。

工藤: とにかく関川君を塁に出さないこと。それをまず第一に考えました。

 

――: このゲーム、関川は4打数ノーヒット。中日の切り込み隊長を完全に封じたことがシャットアウトにつながりました。では、どのようにして関川を封じたのですか?

工藤: 関川君は基本的にバットを前でさばくタイプのバッターです。この手のバッターは普通のバッターよりもタイミングの取り方が少し早いんです。

 

――: そのタイミングで何を待っているかがわかるということですか?

工藤: そうです。だから1球、インサイドにボールを放れば、早くから始動しますから、ある程度、何を待っているかがわかるんです。

 

――: 彼は球種で待つタイプですか、コースで待つタイプですか?

工藤: 球種で待つタイプですね。だから追い込まれると(ヒットが欲しくて)気持ちがセンターやレフト方向に向いてくる。

 

――: ホーッ、ビデオテープでそこまでわかりましたか?

工藤: わかりましたね。関川君は以前は野性的なところがあって、あまり配給を読むタイプではなかった。1打席目に真っすぐを打つと次は変化球を待つ。そんなバッティングでした。だから、その逆を突けばよかった。

 

――: 工藤さんはバッターの狙い球を調べる時、あえて“リトマス試験紙”のようなボールを投げますね。その時のスイングや見逃し方でどんな球種を待っているか、どんなコースを待っているかを判断する。

工藤: そうですね。基本は右バッターに対してはインサイドのスライダー、左バッターに対してはインサイド、ヒザ元あたりのボール球です。

 ここらへんに投げておけば、まず振ってきてもファウルになる。うまく打たれてもレフト前ヒットですみます。相手の様子を探るにはちょうどいいボールなんです。関川君の場合は、スイングの仕方ひとつで、どんなボールを待っているかがわかりましたね。

 

――: 余談ですが、あのシリーズの後から関川のバッティングが崩れてしまった。

工藤: 彼とはあとで友達づき合いをするようになったのですが、あまりに僕が配球のことを詳しく話したことで、ちょっと考え過ぎるようになってしまいましたね。本人は『野球のことを深く勉強するきっかけになりました』と語っていましたが、バッターはピッチャーみたいにあれこれ考えるよりも、むしろ考えない時の方が結果が出たりするものなんです。最近は彼の野性味が消えてしまった。恐ろしいもので、配球のことが頭にあると逆にバットが出てこなくなるんです。昔のよかった時のことを思い出してもらいたい。

 

――: 話をベストゲームに戻しましょう。もうひとりの要注意人物、ゴメスについては?

工藤: 彼の対策は5分で終わりました。インサイドに明らかに打てないポイントが存在しましたから……。

 

――: セ・リーグのバッテリーはそれがわからなかったのかな?

工藤: というより、中日の打線を遮断できなかったんだと思うんです。この年の中日で、一番嫌だったのは先に言った関川君。彼には足もある。足を警戒し過ぎると、どうしてもアウトサイド中心のリードになってしまう。これがゴメスのスイングにはピタリと合ってしまうったんです。

 

――: もっと具体的にいうと……

工藤: ゴメスは本来のポイントの近いバッターなんです。だから内角が強そうに見えるのですが、彼のスイングでは内角の厳しいコースはとらえ切れない。むしろ外に曲がっていくスライダーにバットの軌道が重なるんです。だから外の甘いボールは禁物なんです。

 それまでセ・リーグのチームはインサイドを“見せ球”にして外で勝負していた。実はこれ、逆なんです。外のボールを“見せ球”にして、きっちりインサイドで勝負すれば、そうは打たれない。だから僕が巨人に入ってからというもの、巨人のピッチャーはほとんどゴメスには打たれていないはずですよ。

 ナゴヤドームで僕にあうと『オメーは嫌いだ』とよくゴメスは僕に蹴りをくらわせましたよ。『あの日本シリーズ以来、打てなくなったんだ』とか言ってね(笑)。

 

――: ところであのゲームで13三振を奪い、それまで“神様・仏様・稲尾様”と呼ばれた稲尾和久さん(元西鉄)が持っていた日本シリーズの奪三振記録(84)を更新したのですが、記録については知っていましたか?

工藤: 確か8回が終わった時、まわりが“あとひとつ、あとひとつ”というものだから、もう最後はムキになって投げましたよ。後半の方がスピードが出ていましたもんね。

 

――: チームを日本一に導き、シーズン後、FAで巨人へ。工藤さんらしい鮮やかな去り際でした。99年の再現はもう不可能ですか?

工藤: 実はこの年、ヒジの根っこ、腕橈骨にボコッとガングリオンができちゃったんです。腕橈骨にはカーブやスライダーなど、ボールをひねる時に使う筋肉がついている。指先にも力が入る。その影響でできたと思うんですよね。

 

――: つまり、それだけいいスライダーを投げていた証拠がガングリオンだったと?

工藤: 指でピシッと切ると、大げさでなくビューンと曲がった。あのスライダーはもう投げられないでしょう。


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