陸上版“ドーハの悲劇”である。9月にカタールのドーハで開催された陸上の世界選手権。女子マラソンは猛暑対策として深夜の23時59分にスタートしたが、68人中28人が途中棄権を余儀なくされた。優勝タイムは歴代ワーストだった。

 

 また男子50キロ競歩は23時30分にスタートしたが、出場した46人中、完走者は28人(途中棄権14人、失格4人)。優勝した鈴木雄介のタイムは自己ベストより25分13秒も遅い4時間4分20秒だった。

 

 「深夜のドーハと東京の気象状況は似ている。テレビで選手が苦しんだり、倒れたりする光景は見せたくなかった」(毎日新聞10月18日付)

 

 来年7月に開催する東京五輪。猛暑対策の限界が指摘されてきたマラソンと競歩の会場が札幌に移されることが決まった。先のコメントはIOCジョン・コーツ調整委員長のものだ。

 

 選手のみならず沿道で声援を送る人々の健康や安全を考慮すれば、この決定は“やむなし”と考える。

 

 残念なのは組織委の主導ではなく、“外圧”で決まったことだ。ある意味、日本人のナイーブさが浮き彫りになったとも言える。

 

 既視感がある。1996年5月、チューリッヒは不気味な静寂に包まれていた。日本か韓国か――。2002年W杯開催国を決定する投票が目前に迫っていた。

 

 票読みは微妙だった。FIFA会長のジョアン・アベランジェは日本を支持していたが、首領の政敵の欧州連盟会長レナート・ヨハンソンは“敵の敵は味方”とばかりに韓国に肩入りするようになっていた。

 

 チューリッヒに詰めていた招致委の面々に激震が走ったのは投票日の前々日である。FIFAから「共催(Co-hosting)」という文言の入ったレターが届いたのだ。「FIFAに共催というルールはない。乱暴極まりない話だ」(衛藤征士郎招致委事務総長)。一夜にしてルールは書き換えられたのである。構図は今回のIOCの急転直下の会場変更決定とそっくりだ。

 

 日本人は「お上」の「決め事」の前に、常に無力である。これに「外圧」が加われば、為す術もない。

 

 私見だが、日本の教育は「校則(ルール)を守る子がいい子」から始まる。ルールは「作る」「守る」「変える」の3段階からなる。不断の見直しが必要だ。「もう決まったことだから」は思考停止者の逃げ口上に過ぎない。

 

<この原稿は19年10月23日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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