日本シリーズが終わり、プロ野球はシーズンオフに入りました。秋はドラフト、日本シリーズで季節を感じるのが野球人として染み付いた習慣ですが、今年はラグビーの熱気を感じる秋になりました。ワールドカップのラグビー日本代表の熱い戦いには誰もが感動したことでしょう。当然、私もそのひとりです。ただ、その熱気の余波というか陰に隠れるような形で日本シリーズはあっという間に終わってしまった印象です。今回も私の球論にお付き合いください。シーズンオフも変わらずつぶやいているTwitter(@Yasutomo_76)もよろしくお願いします。

 

 練習はウソをつかない

 日本シリーズの結果は福岡ソフトバンクが4連勝で巨人を退け、3年連続で日本一に輝きました。シリーズの始まる前、巨人は山口俊で勝たないとズルズルと行ってしまう可能性があると感じていましたが、そのとおりになりましたね。菅野智之が腰痛を抱え万全の状態でない今、絶対的エースの不在が巨人の弱点でした。

 

 振り返れば東北楽天のコーチ時代、2013年に日本シリーズに出たときには田中将大という"負けない"エースがいて、さらに則本昂大もいた。たとえ負けたとして田中で止められるし、則本をリリーフに回せば試合の締めくくりは万全です。そういう絶対的支柱があると、やはり選手はまとまるものです。しかもあのときは震災からの復興で、日本中が「頑張れ、楽天」という空気に満ちていました。阪神淡路大震災のときの「がんばろう神戸」でオリックスが躍進したときもそうでしたが、やはり周囲の空気にも選手は乗せられます。今回は「ラグビー熱」の中でしたから、「原巨人5年ぶりのリーグVから日本シリーズへ」というキーワードでは風は吹きませんでしたね。

 

 さらに今回の巨人にはミスも目立ちました。走塁では第3戦、9回の増田大輝です。バッテリーエラーに乗じ二塁、そして三塁へ。これが悠々タッチアウトでした。4点差の最終回、点差を考えれば無理をする場面ではありません。しかもボールが転がったのは三塁側です。それを考えたら、あの走塁はあり得ない。元木大介コーチを責める声も一部にはあるようですが、あれはコーチの指示以前の話です。

 

 増田は今季、1軍メンバーとして結果を残してきましたが、あのワンプレーですべてがリセットされてしまいました。プロというのはそれくらい厳しい世界で、またイチから出直すことになります。増田は四国アイランドリーグplusの徳島から育成ドラフトで入りました。今年のドラフトでも徳島の後輩・平間隼人が育成1位で指名されたので、後輩のためにもここで折れている場合じゃない。また這い上がってきてほしいですね。

 

 平間は私が徳島のコーチ時代に一緒にプレーした選手です。鳴門渦潮高時代から注目されていた選手でしたがNPBドラフトでは声がかからず、高校卒業後、徳島に入団しました。16年シーズン前期は外国人選手もいて出番も少なかったものの、後期は出番も増えていました。当時は悩みつつプレーしている印象がありましたが、それが一度、引退して一般企業勤務を経験。そこで夢を諦められず18年に復帰しました。聞くところによると、復帰してからは社会人の経験がいきたのか、それとも開き直ったのか、明るくプレーするようになっていたそうです。育成とはいえ1位で指名されたんですから、素質は十分。支配下登録され、活躍する姿を見るのが楽しみです。

 

 日本シリーズに話を戻せば、巨人は丸佳浩と坂本勇人、ふたりの調子が同時に落ちてシリーズを迎えたのも敗因でした。どんな強いチームでも選手個々の波はあります。ただ主軸が揃って不調というのが不運でしたね。しかも巨人はシリーズ前に、コーチの退団騒動がありました。ああいうスキャンダルは選手の心の底に陰を落とし、プレーにもしらずしらずのうちに影響が出ます。シリーズ前に流れが悪くなってしまいましたね。

 

 巨人は守備にも乱れがありました。戸郷翔征のバント処理、山本泰寛の送球ミスなど。これは練習量が足りなかった、ということでしょう。一方のソフトバンクはよく鍛えられているな、という印象を受けました。今回、4連敗を喫したことで、巨人がソフトバンクとの差をどう感じたか。球団が編成、育成、練習方法なども含め見直す機会になったかもしれません。

 

 1990年、巨人は日本シリーズで西武に4連敗を喫しました。このとき岡崎郁が「野球観が変わった」と言ったのは有名な話ですね。今回も巨人の選手、フロントが何かを感じ、将来にいかせば「4連敗」も無駄ではなかったかと思います。

 

 最後に付け足しておけば、90年に西武が巨人を相手に4連勝して日本一、そして干支がひと回りした2002年は反対に巨人が4連勝で西武を下し、日本一になりました。このときどちらも勝った方にいたのが鹿取義隆さん、ソフトバンクの工藤公康監督、そして私です。今回はこのあたりで。では、また次回、お目にかかりましょう。

 

<鈴木康友(すずき・やすとも)プロフィール>
1959年7月6日、奈良県出身。天理高では大型ショートとして鳴らし甲子園に4度出場。早稲田大学への進学が内定していたが、77年秋のドラフトで巨人が5位指名。長嶋茂雄監督(当時)が直接、説得に乗り出し、その熱意に打たれてプロ入りを決意。5年目の82年から一軍に定着し、内野のユーティリティプレーヤーとして活躍。その後、西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。92年に現役引退。その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチ、07年、BCリーグ・富山の初代監督を務めた。10年~11年は埼玉西武、12年~13年は東北楽天、14年~16年は福岡ソフトバンクでコーチ。17年、四国アイランドリーグplus徳島の野手コーチを務め、独立リーグ日本一に輝いた。同年夏、血液の難病・骨髄異形成症候群と診断され、徳島を退団後に治療に専念。臍帯血移植などを受け、経過も良好。18年秋に医師から仕事の再開を許可された。18年10月から立教新座高(埼玉)の野球部臨時コーチを務める。NPBでは選手、コーチとしてリーグ優勝14回、日本一に7度輝いている。この6月からTwitter(@Yasutomo_76)も開始した。


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