プロレス人気復活へ――。長年低迷していたプロレスだったが、近年、新日本プロレスは観客動員や売り上げが上昇し、復興ぶりが目立つ。多くのレスラーが独立やフリーへの道を選ぶ中、団体を支え続けた永田裕志はその立役者と言えよう。新日本プロレスの象徴であるIGWPヘビー級のベルトを10度防衛した“ミスターIWGP”に二宮清純がインタビュー。新日本プロレス復活の理由を訊いた。
二宮: 永田さんのトレードマークである敬礼ポーズはどういう経緯でやり始めたんでしょうか?
永田: ナガタロック1がきっかけなんです。この技を最初にアメリカでやったんですが、スタンドの状態から足技を極めにいった。アメリカのお客さんはその体勢に入ると、ドカンと沸いたんですね。でも、日本に帰って来てやったら、うんともすんとも言わない。

二宮: アハハハ。アメリカとはノリが違うんですかね。
永田: ノリもあるんですかね。お客さんがわからないなら、こちらからサインを出してやれと。それでナガタロック1の体勢に入った時に、会場の一番奥にいるお客さんに向けて、ハルク・ホーガンがやる覗き込むようなポーズをやったんです。ただ技を掛ける時なので、そんなにゆっくりもできないんで、シェッという感じが敬礼に見えたらしいんです。

二宮: 永田さんの中では、敬礼じゃなかったと?
永田: 元々はそうなんです。それを辻よしなりアナウンサーが実況で「永田の敬礼ポーズ」と言ったのがはじまりなんですよ。それがどんどん独り歩きしていった。最初は技を掛ける時しかやらなかったんですが、記念撮影する時にも「是非やってください」と言われるようになりましたね。

二宮: 自然とトレードマークになってしまったんですね。
永田: 弟(克彦)が2000年のシドニー五輪でメダルを獲った時、決勝に上がる前に東京スポーツの記者から電話がきまして、「なんかやりましょう」と言われたんです。弟の所属が当時警視庁ですから「(敬礼ポーズを)やらしてください」と。それで弟が言うとおりにやってくれた。僕はアイツが銀メダル獲ったのを、うまく便乗したとところもありますね。

二宮: 東京ドームは5、6万人も入るじゃないですか。その中で遠くまでメッセージを届けるって大変でしょう?
永田: そうですね。でもそれを意識しなければ、プロじゃないと。「会場の一番奥のお客さんに向けて、メッセージを発信するようなプロレスをするように」と僕は教わってきました。

二宮: 教わっても、なかなか簡単にできることじゃないですよね。
永田: 難しいですよね。ひとりよがりでもいけない。そういう試合もしたことがあって、諸先輩から怒られたり、いいアドバイスをいただいたりもしましたね。

二宮: 一時は低迷していたプロレスの人気も、ここにきて復活してきた感があります。
永田: 団体が苦しい時期に、“どうすればお客さんが入るんだ”と、選手もいろいろ考えました。お客さんが入らない時こそ、リング上でガンガンやり合った。試行錯誤を重ねながら、それぞれ自分のスタイルを作っていったんです。自分の試合を見たり、第三者からもアドバイスを聞いて、自分なりに消化していった。それを何年も繰り返して、各自のキャラクターが出てきた時にちょうど新日本プロレスが盛り上がってきた。もちろんオカダ(・カズチカ)、内藤(哲也)らが出てきたのも理由ですが、各選手の個性が確立されてきた時に、新日本プロレスがここ2年でワッときたかなと感じがしますね。

<現在発売中の小学館『ビッグコミックオリジナル』(12月5日号)に永田選手のインタビュー記事が掲載されています。こちらもぜひご覧ください>