立川桃(東海大学柔道部/愛媛県四国中央市出身)第2回「懸命に背中を追ったあの日」
東海大学柔道部1年生の立川桃は、大人しい子だった。父・昭宏は「桃は幼稚園の時は人見知りする子でした。人の後ろにサッと隠れてしまうような子でしたよ」と語った。
<2019年11月の原稿を再掲載しています>
大人しい少女は姉と兄の影響で柔道を習い始めた。立川には年齢が4つ離れた姉・莉奈と3つ離れた兄・新がいる。姉は福岡県警に所属し、52キロ級と57キロ級を主戦にする柔道家だ。兄は同じ大学の4年生。73キロ級で強者たちとしのぎを削る柔道家。両者とも若手有望株である。
そんな姉と兄を持つ立川。2歳の頃にはお下がりの柔道着を身につけ、地元の川之江柔道場の稽古を受けていた。本人は「気がついたら道着をきていました(笑)」とはにかんだ。
父・昭宏は、子どもたちに柔道から大切なことを学んで欲しかった。
「礼節を学んで欲しかったんです。きちんと挨拶をする。試合の相手に感謝の気持ちを持つ。これらを素直にできる人になって欲しくて柔道を始めさせたんです」
この理由は次女に限った話ではないだろう。姉、兄にも取材をしたことがあるが、どちらも真摯に受け答えてくれる姿勢が印象的だった。勝ち負けよりも、大事なことを柔道から学んで欲しかったのだ。
続けて、川之江柔道場に通い始めた立川の様子を述懐した。
「3歳に満たない頃から道場で転がっとりましたよ(笑)。受け身の練習をしっかりこなしていました」
大人しかったものの、体を動かすのは大好きだった。道場の稽古がない日の夜。父が自転車で先導し、姉・莉奈と兄・新は、5キロほど走るのが日課だった。当時、幼稚園の年長だった立川は「私も行く」とねだった。
立川は姉と兄の背中を懸命に追った。時には涙を流しながら走った。それでも、最後までついて行くことができず、途中から父の運転する自転車に乗せてもらった。父・昭宏は“ついていく”と言う立川を見て「まぁ、やらせてみたらええわい」と思い、当時の彼女の様子を語った。
「桃は限界まで頑張っていました。過呼吸気味になってしまったこともありましたよ。一所懸命に走って、それでも姉と兄に追いつかなくてねぇ。兄の新とは3つ年齢が離れとるのに、よく頑張っていました」
柔道が好きではなかった……
ランニングコースは日々変わった。先導する父が、子どもたちに飽きがこないよう配慮したのだ。「しんどいんやろうけど、どこか楽しそうだった」と父。このことから、立川が負けず嫌いだったことがうかがえた。
特訓は夜のランニングだけにとどまらなかった。自宅の近所には新池という貯水池がある。この周辺を朝5時半頃、川之江柔道場生とともに走ったのだ。
小学校に入学するとヒップホップダンスを習い、学校の休み時間には男子と一緒にサッカーをした。「運動が大好きで、走り回っていました」と立川。親子での特訓のおかげだろう。「バテるなんてことはなかった」という。
先述した以外にもたくさんのメニューをこなした。住んでいた団地の1階から4階までのダッシュを繰り返し、腕立て伏せも何回やったか覚えていないほどだ。
ところが、である。運動に関する思い出はすらすらと話してくれたものの、あまり柔道の大会や成績については言及しなかった。柔道について、訊くと彼女は「実は……」とつぶやき、少し間をあけてこう言った。「中学3年生まで柔道があまり好きになれなくて、覚えていないんです」
こういうところを隠さず、正直に話してくれるのは彼女の魅力だと思う。とても素直な心の持ち主なのだろう。
「今は?」と問うと笑顔で「凄く楽しいです」と答えてくれた。立川はなぜ、柔道が好きになれなかったのか。そしてなぜ、今は好きになれたのか。きっかけは、柔道に対する捉え方の変化が大きく影響していたのだった――。
(第3回につづく)
<立川桃(たつかわ・もも)プロフィール>
2001年1月6日、愛媛県四国中央市生まれ。階級は63キロ級。川之江柔道会-川之江北中-新田高-東海大。3歳で柔道を始める。高校3年時、全国高校柔道選手権大会63キロ級で3位入賞。同年、全日本カデ柔道体重別選手権大会同級で準優勝。翌年4月に東海大に入学すると、団体戦のタイトル獲得に貢献。個人戦では全日本学生体重別選手権大会で優勝を果たすなど、頭角を現している。
(文・写真/大木雄貴)