立川桃(東海大学柔道部/愛媛県四国中央市出身)第3回「勝利の味と相手との駆け引き」
立川桃は、愛媛の地ですくすくと育った。体を動かすことが大好きな少女は、体育祭でも目立つ存在だった。満面の笑みを浮かべながら、中学時代の思い出を語ってくれた。
「中学の体育祭はよく覚えています。3年生だけ男女混合での対抗リレーがあるんです。私はアンカーだったのですが、最下位でバトンがまわってきました」
他のクラスはすでにゴールしてしまっていたようだ。立川はトラックをひとりで走っていると、柔道部の顧問が場を盛り上げるために一役買ってくれた。
「先生がポンとトラックに入って一緒に走ってくれたんです。私がゴール手前まで走ってきて、最後の方に先生が入ってくれた。でも、先にゴールされてしまって……。私がビリかい、と(笑)」
この演出ならば、立川と顧問が同時にゴールだと誰もが思ったであろう。顧問の茶目っ気たっぷりな脚本のお陰で立川にとっては「すごく笑ったし、先生の心遣いが嬉しかったです。中学生活の一番の思い出」になった。
中学に進学すると立川は柔道で多忙を極めた。毎日行われる柔道部の稽古に加え、水、木、土曜日は川之江柔道会の稽古もある。へとへとな状態で道場に向かう姿を想像した。しかし彼女は「いやぁ、結構元気でしたよ」と明るく話す。幼少期から姉や兄の背中を追い、走っていたことがここで活かされたのかもしれない。
立川が中学に上がる前、父・昭宏いわく、「自由にやらせていた。あまり型にはめず、“ああせい、こうせい”と言ったことはないです」という。しかし、中学生になると少しずつ技術的な助言をした。「ある程度、(柔道を)理解できるようになってから言ってやらんとね(笑)」と父。柔道に対する理解を深めつつあったこと、そして幼少期から鍛えてきたフィジカル。これらが徐々にかみ合いだし、立川の柔道人生は好転していく。
中学3年生の夏に行われた全国中学校柔道大会・愛媛県予選。立川は決勝まで駒を進めた。迎えた決勝戦、立川が繰り出した内股が見事に決まり、約30秒で勝負が決した。「気がついたら相手の懐に入れていた。相手の重さは感じなかった」と振り返り、こう続けた。「この時まで、柔道で勝てないことが続いていた。この全中あたりから勝てるようになって、少しずつ柔道が楽しくなっていったんです」
北海道で行われた全国大会にシードで出場した2回戦(立川にとっては初戦)。3つの指導を受けてしまい、反則負けとなった。全国に出場できた嬉しさはあったものの、全国レベルの厳しさを痛感したほろ苦い大会となった。
相手を騙す楽しさ
この活躍を契機に柔道の強豪校として有名な新田高校から声がかかった。当初、地元の公立高校を進路先に考えていたが、新田高校に舵を切った。
冬が過ぎ通い慣れた川之江北中学を卒業した。2016年の春、立川は柔道の名門・新田高校に進んだ。朝練習ではダッシュを含めたインターバルトレーニングをこなし、心肺機能を高める。放課後の稽古では全国から集った実力者たちと切磋琢磨する日々が続く。
入学当初は「練習についていくのに必死」だった。それでも向上心消え失せることはなかった。組手の上手い先輩に積極的にアドバイスを求めた。“どうしたら、強い先輩に勝てるのか”を必死に模索した。
この時期が立川にとってのターニングポイントだったのでは、と私は思った。彼女は、こう語った。
「高校に入って、以前よりも考えるようになった。相手をよく見て、前に出るふりをして、後ろに引いてみたり……。相手を“ダマす”ことを少しずつ覚えて、柔道がより楽しくなったんです」
元々は「感覚で柔道をするタイプ」だった立川が、駆け引きを覚え始めたのだ。レベルの高い環境が、彼女の潜在的な能力を1ランクも2ランクも引き上げたのだろう。父・昭宏は娘の成長について述べた。
「駆け引きが楽しいと思えるようになったことは向上してきた証拠ですよね。新田高校には先輩も同級生も全国から意識の高い学生が集まります。“この高校に入って頑張るんだ”と自分で決断して入学したことも、成長するにあたって大きかったでしょう」
新田高校初年度集大成の大会、皇后杯。柔道の楽しさ、奥深さを知った彼女は見事に県予選を勝ち抜いた。強豪校に入り、柔道家として大きく伸びた立川。さらに、彼女は精神的にも大きく成長していくのだ――。
(最終回につづく)
<立川桃(たつかわ・もも)プロフィール>
2001年1月6日、愛媛県四国中央市生まれ。階級は63キロ級。川之江柔道会-川之江北中-新田高-東海大。3歳で柔道を始める。高校3年時、全国高校柔道選手権大会63キロ級で3位入賞。同年、全日本カデ柔道体重別選手権大会同級で準優勝。翌年4月に東海大に入学すると、団体戦のタイトル獲得に貢献。個人戦では全日本学生体重別選手権大会で優勝を果たすなど、頭角を現している。
(文/大木雄貴、写真/杉浦泰介)