ロシアに厳しい裁定が下りそうだ。現地時間25日、世界アンチドーピング機関(WADA)はロシアの国家ぐるみのドーピング不正に対し、同国を東京オリンピック・パラリンピックなどの国際主要大会から4年間除外する処分案を発表した。12月9日開催の常任理事会で、この案が承認されれば、ロシアは国として東京オリンピック・パラリンピックに出場できなくなる。ソ連のドーピング実態が明らかになったのは1988年ソウルオリンピックだ。それを現地で取材した二宮清純のレポートを再掲載する。

 

<この原稿は2018年発行の『オリンピック秘史―120年の覇権と利権』(早川書房)の解説文に掲載されたものです>

 

 この原稿を書くため本書のゲラに目を通している最中、国際オリンピック委員会(IOC)から重大な発表があった。IOCは2014年に開催したソチ冬季オリンピックにおいて、ドーピングの組織的不正があったとして、ロシアオリンピック委員会(ROC)に資格停止処分を課したのだ。これにより2018年2月に開催される韓国・平昌オリンピックから同国選手団は除外されることになった。一方で潔白が証明された選手に対しては、個人資格での参加が認められる見通しだ。

 

 これまで夏季冬季含めて8回オリンピックを取材しているが、1988年に韓国・ソウルで開催されたパルパル(88)オリンピックがどの大会よりも印象に残っているのは、私自身、初めてのオリンピック取材だったという理由だけではない。陸上男子100メートルで驚異のワールドレコードを出したベン・ジョンソン(カナダ)をはじめ、禁止薬物使用による失格者が続出したからである。ベン・ジョンソンの3つ隣のレーンを走ったカール・ルイス(米国)が静止しているかのように映ったのは驚きだった。

 

 1980年モスクワオリンピックはソ連のアフガニスタン侵攻を理由に、米国をはじめとする多くの西側諸国がボイコットした。その報復とばかりに1984年ロサンゼルスオリンピックは米国のグレナダ侵攻を理由にソ連や東ドイツなどの東側諸国がボイコットした。そうした背景もあってアジアで2番目の夏季オリンピック開催都市となったソウルの競技場、競技施設は東西両陣営の威信をかけた激突の場となった。これに巨額の報奨金がからまった。ドーピングの魔手が忍び寄る下地は十分過ぎるほど整っていたのである。

 

 立ち寄った仁川で見た不思議な光景は今も忘れられない。港に浮かぶ客船はミハイル・ショーロホフ号といった。1965年にノーベル文学賞を受賞したロシア人作家の名前に由来する。なおショーロホフには「彼ら祖国のために戦えり」という未完の長編小説もある。当初、この船は単なる“慰安船”だと見られていた。ソ連の選手がくつろいだり、郷土料理を食べたりするために設けられた船上施設だと。ところが、実態は違っていた。船内では科学者たちの手で禁止薬物が処方され、陽性反応が出るかどうかのドーピングテストまで行われていたというのだ。まさに「祖国のために戦えり」のための“戦艦”だったのである。

 

 工作活動の首尾は上々だった。ソ連は金55、銀31、銅46、計132個のメダルを獲得して米国(金36、銀31、銅27、計94個)に圧勝した。さらに驚いたのは人口1700万人足らず(当時)の東ドイツが米国を上回る102個のメダルを獲得し、2位につけたことである。それは禁止薬物の存在を強く疑わせるものだった。

 

 ところが、1989年11月にベルリンの壁が崩れ、1991年12月にソ連という国家が崩壊したことで、国威発揚のためのドーピングは下火になった。そして迎えた1992年バルセロナオリンピック。旧ソ連(EUN=バルト諸国を除く旧ソビエト連邦国家によって編成された選手団)はメダル総数で112個と首位の座を守ったものの、ソウルからは20個も減らした。東西統一のドイツは4年前、両国で142個のメダルを獲得していたが82個に激減した。しばらくしてロシアの政治シーンに登場したのがウラジーミル・プーチンである。彼は失墜した国威を取り戻す手段としてスポーツを積極的に政治利用した。その頂点がソチ冬季オリンピックだったと考えられる。

 

 ソウルオリンピックから26年、ソチオリンピックでのロシアの国家ぐるみのドーピングは、仁川沖に浮かんだミハイル・ショーロホフ号が今もかたちを変えて存在していることを浮き彫りにした。

 

 かつて旧東側諸国のトップアスリートはステートアマと呼ばれ、オリンピックをはじめとする国際大会で輝かしい成績を残せば、高い地位と安定した生活が保証された。つまり国際大会で結果を出すことと国家に貢献することは同義だったのである。そしてその触媒の役割を担ったのがドーピングだった。

 

 ベン・ジョンソンが失格処分となったソウル五輪では閉幕後、ドーピング・コントロールセンターの朴鍾世所長が計34人のアスリートが陽性反応を示したことを明らかにした。このうち10人が失格となり、残りの24人はペナルティーを免れた。

 

 その中のひとりと名指しされたのが東ドイツの女子競泳選手クリスティン・オットーである。オットーは50メートル自由形、100メートル自由形、100メートル背泳ぎ、100メートルバタフライ、400メートルリレー、400メートルメドレーリレーと6つの金メダルを胸に飾った。彼女は「知らなかった」と弁明したが、大会後、西ドイツに亡命した役員によってドーピングの接種を暴露された。東ドイツでは素質を見込まれた女子アスリートは、早い段階から筋肉増強剤のアナボリック・ステロイドや男性ホルモンのテストステロンを投与、もしくは注入された。これらによる健康被害は深刻で、後に性転換手術を余儀なくされる選手まで現れた。

 

 東ドイツでドーピングに関与したコーチが後に中国に招かれ、東ドイツ流の“国策ドーピング”を移植したのは記憶に新しい。その結果、中国は「競泳王国」となったが、選手の多くは禁止薬物の存在を知らされていなかった。1994年の広島アジア大会で中国は11人ものドーピングによる失格者を出し、“国家ぐるみ”との批判にさらされた。

 

 オリンピック競技は<競技者間の競争であり、国家間の競争ではない>とオリンピック憲章に高らかに謳われているにも関わらず、今なおドーピングに手を染めるアスリートが後をたたないのは、依然としてオリンピックが国家に支配されている現実に加え、行き過ぎた商業主義、勝利至上主義がアスリートの一獲千金思考に拍車をかけているからに他ならない。ドーピングは競技の公平性、公正性を損なうだけではなく人体に深刻なダメージをもたらせる。心身を鍛える、あるいは日常生活をより豊かにすることを目的とするスポーツが原因で人生を棒に振るという矛盾から目を背けるわけにはいかない。

 

 ドーピングはアスリートの心身のみならず開催都市をも蝕んでいる。その実態を本書は余すところなく暴き出している。2020年東京オリンピックは招致時点で総経費を7300億円と見積もっていた。その後、3兆円を超えるとの指摘がなされたが、余りの水ぶくれぶりに批判が集まり、1兆3850億円におさまった。といっても当初見積もりより約6550億円の膨張である。容認できる誤差ではない。ライバル都市との競争を有利に運ぶための数字のマジック、歯に衣着せずに言えば、これは“会計的ドーピング”ではないか。

 

 しかし、著者によれば、こうした粉飾は昔からあったことらしい。1896年の記念すべき第1回オリンピックは古代オリンピック揺籃の地であるアテネで開催された。近代オリンピックの礎を築いたフランス人、ピエール・ド・クーベルタンは<資金不正をめぐるパニックを抑えるため>(P47)<開催にかかる費用を敢えて少なく発表した>(同)というのである。

 

 それから108年後、再びオリンピックがアテネに戻ってきた。2004年のことだ。ギリシャ当局がIOCに確約した予算は16億ドル(当時のレートで約1680億円)だった。ところが実際にギリシャがオリンピックのために費やした金額は160億ドル(約1兆7600億円)にのぼった。著者は記す。<大会の10年後、オリンピック・スタジアムやその他の競技場の大半が捨て置かれ、荒れ果てている。ビーチバレー場には雑草が生い茂っている。オリンピック選手村に設けられた噴水はすっかり乾き、落書きだらけである。水泳競技の行われたアクアティックセンターはポストモダン建築のギリシャ遺跡のようだ>(P204)

 

 英紙インディペンデントによると、大会用に建設したオリンピック競技施設は22あったが、現在も使われているのは、わずかひとつに過ぎないという。海外では、いわゆる無用の長物のことをホワイトエレファントと呼んだりする。なぜ「白い象」なのか。昔、タイでは王様が手柄のあった家来に神聖さの象徴である白い象を贈った。だが、もらう方はうれしくない。象の巨大な胃袋を充たそうとすれば家計がパンクするのは目に見えている。といっても、エサを与えず象がやせ細ってしまえば王様の怒りを買う。白い象を贈られた家来の家は例外なく没落していったという。

 

 東京オリンピックが開催された1964年、日本の高齢化率(65歳以上の人口)は6%に過ぎなかった。ところが2020年大会では、高齢化率は30%近くに達すると見られている。3人にひとりが高齢者となるのだ。参考までに言えば、高齢化率は2010年時点で米国が約13%、英国が約17%であるのに対し、日本は約23%である。日本は世界で冠たる高齢者大国なのだ。

 

 そうであるならば、今回の東京は、ある意味オリンピック以上にパラリンピックを重視し、ユニバーサルデザインを促進する姿勢を強調すべきだろう。障がい者に対する環境整備は、超高齢化社会への備えともなる。東京が、そして日本が世界へ発信すべきは持続可能な成熟社会に向けての真摯な取り組みである。本書には反面教師とすべき過去の失敗例が克明に記されている。不都合な真実を直視することで、あるべきオリンピック、パラリンピックの姿が見えてくる。