平野一美(日本障がい者バドミントン連盟理事長)<後編>「『障がい』から『生涯』スポーツへ」
二宮清純: パラバドミントンが2020年東京パラリンピックの正式競技に決まるなど追い風が吹いています。
平野一美: はい。おかげさまで、いろいろと企業や自治体にもご支援いただいているので、まずは結果でお返ししたいと思っています。
二宮: 東京オリンピック・パラリンピック開催が近付き、日本バドミントン協会との連携も深まっていますか?
平野: はい。日本バドミントン協会主催のイベントでパラバドミントンを紹介していただくこともあります。事務局同士で繋がっているので、今後も連携を深めていきたいです。
伊藤数子: 今年8月にスイスで行われた世界バドミントン選手権はパラバドミントンの世界選手権と同時開催でした。
平野: 今年のデンマークオープンも健常者の大会とパラバドミントン大会を同時開催していました。そうすれば、共生社会をアピールできますからね。ところが、大会中にパラバドミントンの日程を縮めようという話になったんです。当然、選手たちも怒っていましたよ。口では「共生」と言っていても、現実はなかなかうまくいかない。
伊藤: そのギャップを埋めるのは簡単なことじゃないんですね。
平野: 残念ながら、そうですね。私は当初、健常スポーツのビジネスモデルに憧れ、それを組み込みたいと考えていました。でもいろいろと経験していくうちに今はすべてを一緒にする必要はないと思っています。
二宮: 各競技団体は2020年東京パラリンピックというビッグイベントが終わった後も持続していく力が必要になります。高齢社会とパラスポーツの親和性は高い。パラリンピック・ムーブメントを続けていくことで、日本社会の体質改善に繋げたいですね。
平野: そうですよね。「共生社会を実現しよう」と口で言うのは容易ですが、受け身でいるだけでは何も変わらない。現状を変えるには、自分たちから打って出ていかなければいけません。
積極的に発信を
二宮: 与えられるのではなく、”自分たちが共生社会をつくるんだ”という意気込みですね。
平野: ええ。その仲介役として自治体の協力は不可欠です。パラバドミントン連盟はサポートシティとして東京の江戸川区と渋谷区、町田市、静岡市、福岡県の宗像市の5つの自治体にご協力いただいています。現在、2020年以降をどうするかも話し合っています。私たちは、ただバドミントンができればいいという考えではありません。パラスポーツ、パラバドミントンをひとつのアイテムとしてとらえ、社会に広がりを持たせたいと考えています。
二宮: 今までは少し内向きだったと?
平野: そうだと思います。今までは周囲に大きくアピールする機会がなかった。せっかく外に発信していくチャンスがあるのだから、選手たちと力を合わせ、広報活動にも積極的に取り組んでいこうと考えています。
伊藤: バドミントンは子どもからシニアまで楽しめる「生涯スポーツ」です。競技の普及にも力を入れていきたいとお考えですか?
平野: 障がいと生涯。バドミントンは日本人が昔からやれる、やっている、やったことがある代表的なスポーツです。シャトル代わりに風船を使ってもいいし、スマッシュを打たずにラリーを目的としてもいいと思います。ないものを求めるのではなく、あるものでやるべき。新しいルールを提案することが大切だと思います。
伊藤: 今後、取り組んでいきたいことはありますか?
平野: 実は、この春から当連盟のホームページでサポーター制度を設けました。バドミントンができなくても障がいのある人へ協力できる方、大会運営のボランティアをしたい方など、パラバドミントンに関わりたい方を募っています。参加する人、サポートする人が増えればパラバドミントンの輪は広がる。私たちは受け皿をつくっていきたいと考えています。
(おわり)
一般社団法人日本障がい者バドミントン連盟理事長。NPO法人日本バドミントン指導者連盟理事。1961年2月10日、熊本県出身。高校からバドミントンを始める。長崎日本大学附属高等学校、久留米大学卒業。2009年より障がい者バドミントンの指導に携わる。2015年4月、日本障がい者バドミントン連盟設立、理事長就任。公益財団法人日本スポーツ協会上級コーチ、公益財団法人日本障がい者スポーツコーチの資格を持つ。