「出る杭は打たれる」
ということわざがある。
<この原稿は2001年4月25日号『Tarzan』(マガジンハウス)に掲載されたものです>
この国はこれから事をなそうとする者に対し、なぜかあまりにも冷淡である。心の奥底には人の幸せを素直に喜びたくないというねじ曲がった心性がべったりとはりついているのかもしれない。
たとえば世界で初めてヨットで太平洋を横断した堀江謙一さんに対する国をあげてのバッシングがそうだった。
彼が日本の港を出帆し、アメリカへ向かっていることが明らかになったとき、外務省は「密入国でつかまえてくれ」と米政府に圧力をかけたのだ。
ところが見事に太平洋を渡り切ってサンフランシスコに上陸し、突然、英雄となるや、掌を返したように褒め称え始めたのである。まるでやっていることは悪代官そのものだった。
野茂英雄が海を渡った時もそうだ。彼のメジャーリーグ行きが決まったとき、日本のプロ野球界、マスメディアのほとんどが彼を非難し、成功を期待するメディアは皆無に近かった。いずれにしても快く送り出すという状況からはほど遠かった。
「どうせ失敗して逃げ帰ってくるさ」
「大リーグはそんなに甘いもんじゃない」
プロ野球のOBまでがバッシング報道の尻馬に乗った。野茂からすれば、まさに見渡す限り敵だらけ。大げさではなく四面楚歌の状況だった。
それはまるで、学校や会社を途中で去っていく者を快く送り出すことができない、この国の社会の縮図を見ているようでもあった。
結局、大方の予想は裏切られ、野茂は一躍、時の人となった。「第二の野茂を出すな!」と野茂をなじったコミッショナーのYは自らの舌の根も乾かないうちに「野茂は日本の誇りです」と掌を返した。
聞いていて滑稽ですらあった。
堀江謙一さんがアメリカの港に着いたときの外務省の官僚と同じ愚かなコメントを、コミッショナーは口にしてしまったのである。
弱者を虐げ、強者にこびへつらう――。こうした体質は改まるどころか、最近、より強くなっているような印象を受ける。
海外に出たアスリートが、日本のプレスマンに対しなかなか口を開こうとしない理由がこんなところにもあるのではないだろうか。
「毎日、毎日が楽しくて仕方がない」
海の向こうで新庄はそう語っている。
「自分自身、どれだけ成長できるか楽しみ」
そんな発言も耳にした。
かくいう私も、新庄のメジャーリーグ挑戦を支持すれこそ、活躍には疑問符をつけているひとりである。
もちろん早々と掌を返す気持ちはない。
ただ一点、私は失念していたことがある。
それは新庄の「才能」の正体を、正確に把握できていなかったことである。
誤解を恐れずにいえば、新庄の最大の才能は自らの能力に対する分析力が決定的に「欠如」していることである。きちんとした自己分析力が備わっていれば通算2割5分にもみたない打率で、とてもMLBに挑戦しようなどという気は起きない。しかし、彼はここでも固定観念には縛られない。自分を見失っているのではない。肯定的な意味合いにおいて、彼はひたす無知で無自覚なのだ。
実はこの“過剰なる無自覚”と“天性の欠落性”こそが彼の最大の「才能」ではないのか。
余談だが最高の女優の要素は「羞恥心の欠如」だと私は考えている。だから恐ろしく魅力的な表情で濡れ場をこなし汚れ役を演じることができるのだ。
翻って克服型の人間には、どこかで無理が生じる。プレッシャーに対しても、それを努力で克服した人間より、はなっからプレッシャーを感じない人間の方が強いに決まっている。すべてが自然体なのだから……。
もう、私が何を言いたいかお分かりだろう。
新庄がMLBで大成功をおさめたあきつきには、喜んで懺悔の列に加わりたい。そして、彼にこう嗤われたい。
「(僕のことをいくら考えたって)ムリオ、イミナシオ……」
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