2010年秋、「もがいた4年間」を経て、筑波大学4年の平野加奈子は地元に戻る決意をほぼ固めていた。教員になる――。そう考えていた彼女が、非常勤講師の願書を提出した翌日、とある誘いが届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 筑波大バトミントン部の吹田真士監督が平野にこう声をかけたのだ。

「日本代表がビデオスタッフを募集しているらしいぞ」

 筑波大在学中に国立スポーツ科学センターの映像分析の講習会に参加した経験があった。バドミントン部でもビデオ係を務めることはあった。映像を編集し、選手に提供する程度ではあったが、現在の職業に繋がるものだった。当時、募集していたのは日本スポーツ振興センターのマルチサポート事業(現ハイパフォーマンス事業)の一環だ。オリンピックの大会ごとのプロジェクトで、期間はロンドンオリンピック終了までだった。

 

 条件としては日本代表の海外遠征に帯同し、ビデオ撮影をすること。「いろいろな国を転戦するという生活は“どういう感じなんだろう”との興味がありました」。一度は地元に戻る約束した両親には2年間の猶予をもらった。これが今後の人生を大きく変えることになるとは、本人も知る由はなかった。

 

 選手としてではなくスタッフとして日本代表に加わった。すべてが初めての体験だ。意外な再会もあった。

「垣岩(令佳)さんや松友(美佐紀)さんは小学生の時に関わりがあったので、『なんでいるの?』と驚いていました。中学生以来の再会で、私自身もこういう形で関わることは想像もしておらず、“人生何があるか分からないな”と思った記憶があります」

 

 初めてチームの遠征に帯同したのは翌年1月のマレーシアオープンだ。

「海外に行くのは2回目で国際大会を生で観るのは初めてでした。本当に右も左も分からない状態。とりあえずビデオを撮り続けていました」

 必死で食らい付く。バドミントンスタイルと同様にガムシャラにやるしかなかった。

 

 約3カ月の研修期間を経て、4月から正式に日本スポーツ振興センターのマルチサポート事業のメンバーとなった。翌年のロンドンオリンピックでは歴史的な瞬間を現地で目にした。女子ダブルスで藤井瑞希&垣岩ペアが銀メダルを獲得し、日本バドミントン史上初のメダルを手にしたのだ。

「もうこんな貴重な瞬間に立ち会えることは、“今後ないんだろうな”と思っていました」

 とはいえ、ロンドンの快挙を見て、“次こそは自分が”との想いを抱いた選手も多いように、“次こそは”と意欲を燃やすスタッフも多いはずだ。アナリストである平野は、2年限りの挑戦と思っていたが「もっと分析を発展させられるはず」と4年後も日本代表をサポートすることを決意したのだった。

 

 16年のリオデジャネイロオリンピックで成長した姿を見せたのは選手だけではない。スタッフ陣も力を付け、檜舞台に立つ選手たちを後押しした。

「リオの時は、オリンピックでチームが結果を出すため、自分に何ができるかを考え、行動できるようになっていたと思います。ロンドンに比べると分析などにおいても少しバリエーションが増えていました。オリンピックではADカードの枚数に制限があるので、選手村には入れなかったのですが、選手村近くのアパートで他のサポートスタッフと共同生活をしたりして、チームとしてとても連携していたという記憶があります」

 

 リオオリンピックは女子ダブルスの髙橋礼華&松友ペアが金メダル、女子シングルスの奥原希望が銅メダルとロンドンを上回る好成績を残した。ロンドンが初のメダルならリオでは初の金メダル、そして複数メダルだ。選手をサポートしてきた平野たちのとっても誇りに思える勲章だった。平野自身にも達成感は当然あった。でも彼女のモチベーションは燃え尽きなかった。

「ロンドンもリオも、チームとしては良い結果を得られていたので、直後には満足感がありました。でも、また時間が経つと、次の新しい目標が見えてくる感じでした」

 

“効率的”な分析

 

 4年後は東京オリンピックだ。選手同様にスタッフとしても自国開催のオリンピックは特別な舞台である。再び岐路に立った平野は、“3度目のオリンピック”に挑戦する決断を下した。

「最初はロンドンが終われば辞める予定でしたし、リオの後も続けるかは迷いました。でも、この仕事が好きでしたし、もう少し分析やバドミントンの発展に対し、自分にできることがあるのではないかと思って続けることにしました」

 

 迷いを振り切ったのは、選手からの何気ない一言で気付かされたことがあったからだ。日本代表の松友から「もっとこの仕事の他にもやりたいことがあるのかと思っていました」と言われた。それに対する平野の答えは、“この仕事は続けたい”だった。とはいえ、“ただ続けたい”という気持ちだけではない。“もっとチームの力になりたい”。平野は自らを高めるため、1年間毎日インターネットで英会話レッスンを受け、休暇を使って数週間の海外留学に挑戦した。イギリス・ロンドン、カナダのバンクーバーへの短期留学で語学力は確実にアップした。この経験は間違いなく彼女の今に生きている。

 

 日本代表は、日本人コーチに加え、現在パク・ジュボンHCとチェ・サンボムコーチは韓国、中島慶コーチは中国、タン・キムハーコーチとジェレミー・ガンコーチがマレーシア、カレル・マイナキーコーチはインドネシアと多国籍な陣容だ。平野は日本語が苦手なコーチとは英語でコミュニケーションを取る。時には選手とコーチとの通訳代わりになることもあるという。

「アナリストとしての考え方が変わったきっかけのひとつに、2018年以降にミックスダブルスや男子ダブルスのマレーシア人のコーチが来たことがあります。彼らはまだ日本語が話せないので、ミーティングなどで選手との間に入り、通訳をする機会が多々あります。そこで、コーチや選手の本音をさらに知り、自分自身のバドミントンに対する考え方が深まったと思います」

 

 それまで日本スポーツ振興センターの所属だった平野だが、今年4月からは日本バドミントン協会所属になった。

「よりチームと一緒にいる時間は長くなりました。昔は遠征に帯同する以外はオフィスで分析し、必要に応じてコーチや選手と話し合っていました。今は拠点がナショナルトレーニングセンター(NTC)内になりましたので、国内合宿もサポートするようになりましたし、チームと関わる時間は増えたと思います」

 

 気が付けば、アナリストをはじめて9年目になる。当時と今ではスキルも経験値も違う。

「当時は分析という観点で言えば、何をすべきかわからなかった。探り探りやる中で、最初は相手のクセを見つけるような分析をしていました。そこから私たちスタッフもどういうデータが出せるか模索しながら、コーチングスタッフにも提案していき、経験値を積み上げてきました。今ではトレーニングにいかせることも増えてきたと思います」

 

 平野がアナリストを始めた頃からの同僚である飯塚太郎は、彼女の成長をこう語る。

「当初は作業量をどうこなすかを意識した結果、分析からフィードバックまでの作業をどれだけ効率的に行えるかにより目が向いていたと思います。一方、最近ではフィードバックされる分析データや映像から、選手・コーチがどんな気付きを得られるか、何がそれまでより良くなる可能性があるかという部分までイメージして分析や提案を行っているように感じます。時間は多少要したとしても、データや映像のフィードバックによって選手・コーチに変化がもたらされるようなトータルで“効率的な”分析を進められていると思います」

 

 飯塚には、平野の特性も分析してもらった。

「大会に帯同して見たことや、選手・コーチから聞いたこと、コミュニケーションの中で感じたことから課題をイメージし、データや映像を通じて検証してみようする自発性が長所です。自発性に関しては、仕事を始めた当初から一から十まで手取り足取り教えてもらおうという姿勢ではなかった。一通り説明を受けた後は『ひとまず自分でやってみます』『分からなかったら、また教えてください』ということが多く、感心したことを覚えています」

 

 平野にアナリストの魅力を訊くと、こう答えた。

「何週間も考え、出したデータにコーチ陣がポジティブな反応を示した時にやりがいを感じますね。それがもちろん結果に繋がれば、なおうれしいです」

 日々、膨大なデータと向き合っている。報われないことの方が多いのかもしれない。それでも真摯に向き合い続ける。それは現役当時と変わらぬ姿勢だ。

 

 躍進が続く日本バドミントン界に東京オリンピックで寄せられる期待は大きい。自国開催でのオリンピックは選手にとって追い風になるが、重圧にもなる。「BIRD JAPAN」(バドミントン日本代表の愛称)が東京の舞台で羽ばたくために、平野らスタッフ陣が陰ながら支えている。

 

 これまでの平野は挑戦、挑戦の日々だった。文武両道を貫くこと、選手としてバドミントンで日本一になること、アナリストとして日本代表をサポートすること……。東京オリンピック後のことは、まだ決めていない。今は目前の挑戦と向き合っている。

 

(おわり)

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平野加奈子(ひらの・かなこ)プロフィール>

1988年12月21日、香川県高松市生まれ。小学4年でバドミントンを始める。香川スクール、高松高校、筑波大学まで現役を続けた。全国大会、国体などの出場経験はあるものの、目立った成績は残せなかった。11年にバドミントン日本代表の分析スタッフ入りし、現在に至る。日本代表選手の国際大会の多くに同行。オリンピック、世界選手権などのメダル獲得に貢献した。中学時代は陸上(1500m走)で四国1位になったこともある。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

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