早稲田大学ア式蹴球部女子(早大女子サッカー部)の左サイドバック・中田有紀は愛媛県松山市で生まれ育った。取材をした際、彼女は非常に落ち着いていた。しっかりとした若者という印象を受けた。

 

 

 

 

 

 

 

 彼女は共働きの家庭で育った。こういった点も中田が落ち着きある人間に成長したことに影響を与えているように思えた。しっかりしていたのは幼少期の頃からだったようだ。母・彩子に話を聞くと「いい意味で変わった子でしたよ」と笑った。

 

 具体的にどう変わった子だったのか。母・彩子が愛娘の保育園時代のエピソードを語ってくれた。

「保育園の時点で、準備をちゃんとする子供でした。寝る前に明日、着る服を選び、枕元に置いて寝る子供でした。“こんな事、私らは教えていないのに、どこで習ってきたん?”と思ってしまったくらいです(笑)」

 

 朝はみんな出発に向けた支度でバタバタするのでは、と幼いながらに感じ取っていたのかもしれない。予測と準備は小さい頃からお手の物だった。

 

 中田は保育園に通い、運動が好きになっていった。保育園に外部から講師が来て、サッカーや体操を習った。その中で中田の運動神経の良さは際立っていたという。先生たちは彼女の運動センスの高さに感心し、親に「何か、させた方がええ」と勧めた。

 

 近所に体操教室があったので、そこに通うことになった。母・彩子は娘の様子を述懐した。

「小さい体で高い鉄棒にぶら下がってクルクル回るんです。怖くないんかなと思いながら感心しました。平均台にしてもマットにしても軽々とぴょんぴょん、ぴょんぴょんやってのけるんです」

 

 体操教室の先生も、中田の動きのキレに驚いたのだろう。「ぜひ、一般コースではなく、選手コースを」と勧めた。すると、中田は「それなら、辞める」とあっさりと体操教室から身を引いた。「パッと辞めてしまった。昔から決断は自分でする子供だった」と母。小さい時から、物事を自ら決められる人物だった。

 

 普通の子とは違う

 

 サッカーをしている時も、そのプレーぶりは際立っていた。3つ年上の兄、中田、母らと外に出てボールを蹴り合っていた。ボールを蹴っては、それを走って追いかける。幼少期といえば大概はそんなものである。

 

 だが、中田はこの一般論には当てはまらなかった。彼女は母や兄がボールを蹴りそうな場所を予測し、先回りして動いていた。優れていたのは、身体能力だけではなかったのだ。

 

 母・彩子はこう語った。

「普通の子とは動きが違う。先を読んでいるんか、感覚的なものなのかはわかりませんが……。よく周りを見ているんでしょうね。こちらの方言になってしまいますけど、有紀の動きは“さどい”なぁ、と思って見ていました」

 

“さどい”とは主に徳島県で使われる方言。機敏な、機転が利くという意味だと、母・彩子が教えてくれた。「機敏」と「機転が利く」。2つの意味をあわせ持つ“さどい”という形容詞こそ、中田の動きを表現するには適切だと感じた。

 

 中田は地元のさくら小学校に進学した。兄はそこのサッカー少年団に属していた。中田はよく兄の練習を見に行っていた。ある日、クラブの低学年チームの人数が足りなく、「有紀は運動ができる」と輪に加わったことから、本格的にサッカーを始めることになった。ここから、中田はサッカーにどっぷりとのめり込んでいくのだ。クラブを掛け持ちするほど多忙を極めるのだが、その先々での出会い、出来事が彼女をプレーヤーとして成長させていく――。

 

(第3回につづく)

 

<中田有紀(なかた・ゆき)プロフィール>

1997年11月28日、愛媛県松山市生まれ。MFC-桑原女子FC-AC.MIKAN-日ノ本学園高等学校-早稲田大学ア式蹴球部女子部。3つ上の兄の影響で小学生の時にサッカーを始める。2013年、兵庫県の女子サッカー強豪校・日ノ本学園高校に入学。2年時に攻撃的なポジションからサイドバックに本格的に転向。3年時には主将を務めた。16年、早稲田大学に入学。1年時より左サイドバックのレギュラーとして試合に出場している。身長154センチ。

 

(文・大木雄貴/写真・杉浦泰介)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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