カレッカかセルジーニョか。ストライカーとしての才能や実績でどちらが上かと問われて、後者の名前をあげる人は皆無に近いはずである。

 

 かたや、ブラジル史上屈指の点取り屋。かたや、82年W杯でブラジルが敗れた最大の要因として猛烈な批判を受けた巨漢ストライカーである。実際、82年のチームにカレッカがいたら、という声はブラジル・メディアの中からもよく聞かれた。

 

 万能型のストライカーだったカレッカのプレースタイルについては、柏でプレーしていたこともあり、ご存じの方も少なくないと思う。マラドーナとともにナポリをスクデットに導いた活躍をご記憶の方もいらっしゃるかもしれない。

 

 ではセルジーニョはどんな選手だったのか。個人的な印象からすると「外しまくった男」である。まだ日本サッカーにとってW杯が夢のまた夢だった時代。そんな国の末端の末端に位置する高校生を驚愕させるぐらい、82年のセルジーニョは決定機を外しまくった。ストライカーとしてどちらが上か? わたしの答えはもちろんカレッカだし、そもそも「なぜテレはセルジーニョを呼んだんだ?」とまで思っていた。

 

 ただ、最近ちょっとわからなくなってきている。

 

 全世界から絶賛された82年ブラジル代表のいわゆる“黄金のカルテット”のうち、トニーニョ・セレーゾを除く3人はW杯メキシコ大会にも名を連ねている。監督は同じくテレ・サンターナ。だが、チームとしてのスタイルや魅力は、4年前とは別物だった。強くはあっても、準々決勝のフランス戦以外、退屈な試合が多かったというのが個人的な印象である。

 

 もちろん、ジーコが本紙「我が道」で語っていたように、彼自身のコンディションが良くなかった影響はあるだろうし、ソクラテス、ファルカンにも衰えはあった。それにしても、なぜこれほど変わってしまったのか――というのが現地で観戦していての疑問だった。

 

 いまになって思う。CFがセルジーニョではなくなった影響はなかったか。

 

 ストライカーとしては確かに二流だった。しかし、前線に1メートル95の巨漢が居すわったことで、かつポストプレーを十分こなしたことで、82年のジーコたちは前を向いてプレーすることができた。セルジーニョが決定機を外しまくったのは、それだけブラジルが決定機を作ったことの証でもある。つまり、勝つことには貢献できなかったセルジーニョは、実は、魅力的なサッカーを実現することには大きく貢献していたのではないか――。

 

 小川航基か上田綺世か。現時点で評価するなら、わたしは小川を取る。ワンチャンスをモノにしたカタール戦の一撃は見事だった。ただ、橋岡と意志をつなぎ、ボレーで合わせたシリア戦での上田のプレーが強く印象に残ってもいる。点を取ったのは小川。チャンスを生み出したのは上田。チームに必要なのはどちらなのか――。

 

 間違いなく言えるのは、2人の爆発的な成長がない限り、東京五輪のストライカーはオーバーエージ枠に頼らざるを得ない、ということである。ブレーメンには、チャンスを作れて点を取れる男がいる。

 

<この原稿は20年1月23日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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