バルデラマのコロンビアが、アルゼンチンを粉砕したことがあった。エルケーアやラウドルップのデンマークが、ドイツに完勝したこともある。サッカーの世界では、時に異変が起きる。

 

 けれども、地殻変動は起きない。

 

 バルデラマ以降のコロンビアはどうなったか。“デニッシュ・ダイナマイト”の伝統は引き継がれたのか。それぞれの地域の新たな顔として、いまもなお君臨しているのか。

 

 そうはならなかった。

 

 サッカーが誕生して3つ目の世紀に入ってもなお、強豪は強豪たりえている。欧州や南米で、100年前は洟も引っかけられなかったような存在が王者として君臨するようになった、という事態はいまだ起きていない。

 

 アジアは、違う。

 

 ほんの30年前、日本は後進圏とされたアジアの中でも、さらに遅れた存在だった。代表監督に就任したハンス・オフトが「わたしの仕事は日本をW杯に連れて行くこと」と宣言した時、記者会見場には微妙な空気が流れた。記者だけではない。話を伝え聞いた選手の中には失笑する者さえいた。

 

 だが、いまや日本がアジアを代表するサッカー大国であることを否定する人はいない。いま、コロンビアやデンマークが地域予選で敗れることはニュースではないが、日本の敗北はトピックとして駆けめぐる。わずか30年の間に、アジアの地殻は大きく揺れ動いた。

 

 そして、その揺れは依然として続いている。というより、確実に大きくなってきている。

 

 ACLのプレーオフで鹿島が敗れた。Jのクラブとしては史上初めての敗退だという。辛勝したFC東京の相手は、失礼ながら聞いたこともないフィリピンのチームだった。フィリピン! 暗黒時代の日本代表でさえ、2ケタ得点で勝つことがあったというのに!

 

 まだJの開幕前ということで、鹿島やFC東京が万全とはほど遠い状態にあったことは事実だろう。それでも、数年前までであれば、JのクラブにとってACLのプレーオフは、ちょっとした儀式のようなものでしかなかった。ファンも選手も、そこで負けることなど考えもしなかった。そもそも、プレーオフのために万全を期す、という発想自体がなかった。

 

 時代は、動きつつある。

 

 日本が早期敗退を喫した五輪最終予選は、サウジアラビアを延長で下した韓国の優勝で幕を閉じた。3位で東京へのチケットを手にしたのはオーストラリア。まずは順当な結果である。

 

 だが、わたしが強い印象を受けたのは、4位のウズベキスタンだった。彼らは、日本と同じぐらいボール保持の意識を持ち、日本よりも仕掛けの意志を持っていた。いまの彼らに欠けているのは自信――30年前の日本と同じ状態にある。

 

 欧州や南米の場合、新興勢力の出現はいつも、“単騎突撃”だった。だが、タイやベトナムも台頭してきたいまのアジアは、下剋上を狙う勢力が群れを成して現れている。

 

 激化するアジア予選は、勝ち抜いた国の戦闘能力を大いに高めることになる。経済だけでなく、サッカーの世界でもアジアが存在感を発揮する時代が、いよいよ訪れようとしている。

 

<この原稿は20年1月30日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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