18年9月11日のコスタリカ戦を皮切りに、森保監督に率いられた日本代表はこれまで28試合を戦ってきた。戦績は19勝4分け5敗。個人的には、いい時と悪い時の落差が激しいチーム、という印象を持っている。

 

 同情の余地はある。お粗末な内容が続いたW杯2次予選のアウェー戦は、パスをつないでいくタイプのチームには悪夢のようなコンディションの中で行われた。それでも実力を発揮するのが強いチーム、という見方もあるだろうが、わたしに言わせれば、フォーミュラーカーにラリーを走らせるに等しい状況だった。

 

 では、敗れた5つの試合はどうだったか。

 

 初黒星を喫したアジア杯決勝でのカタール戦(1-3)、国際親善試合のコロンビア戦(0-1)とベネズエラ戦(1-4)、南米選手権でのチリ戦(0-4)、東アジア選手権の韓国戦(0-1)。これらの試合は、素晴らしかったウルグアイ戦やパラグアイ戦と何が違ったのか。

 

 3本の矢がなかった。

 

 わたしが思うに、森保監督にとっての3本の矢は、幅広い視野とロングレンジから殺傷能力の高いパスを放つボランチと、仕掛ける能力の高い2人の超攻撃的MFである。結成当初は青山がボランチ役を担い、それが柴崎に変わっていった。切り込み役を務めたのは最初から南野と中島である。この3人が揃っていれば、日本代表の質は担保されたも同然であり、逆に言えば、ここに欠員が出ると、試合の質がガクンと落ちてしまう事が少なくなった。5敗の中で3人が同時に先発したのは、もっとも見るべきところの多かったコロンビア戦だけだった。

 

 3本の矢の個々がとりわけ傑出している、というわけではない。もちろん優れた選手ではあるが、結成当時の日本代表には、中島や南野を実績や経験で凌駕する選手が何人もいた。だが、“素晴らしいボランチプラス2人”によって生み出された化学反応は、日本代表史上例を見ないほどに美しかった。

 

 この化学反応、果たして森保監督が意図して生み出したものだったのか。それはわからない。当初は大迫も重要な鍵だったし、それはいまも変わらない――A代表においては。

 

 だが、23歳以下ではない選手を3人までしか招集できない五輪代表においては違う。大迫を呼ぶということは、3本の矢のうち、誰か一人を外さなければならないことを意味する。

 

 わたしは、3本の矢がそっくり移植されるのであれば、五輪代表は十分にメダルを獲得する力があると信じている。ただ、そのためには誰か、大迫がいなくても大丈夫だとかんじさせてくれる選手の台頭が必要になってくる。

 

 森保監督が、可能性は感じさせつつも決定力はまだまだ低い上田にこだわったのは、あるいは連係に物足りなさが残る小川にチャンスを与えるのも、ポスト大迫の出現を切望しているからではないか、とわたしは思う。

 

 残された時間は少ない。ただ、まだなくなったわけではない。開幕が近づいてきたJリーグでは、若きストライカーたちの暴力的な覚醒がみたい。

 

<この原稿は20年2月6日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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