第9回 2020キャンプレポ。オリックスに必要なのはピリピリした緊張感

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 皆様、今月も鈴木康友コラムご覧いただきありがとうございます。2月になりプロ野球のキャンプインのニュースを見ると「いよいよ今年も始まったか」と胸躍ります。今年もオリックスの宮崎キャンプ取材に行ってきました。1月末に体調を崩したこともあり大事をとってキャンプ地のハシゴは控えましたが、それでもいろいろな選手を見てきました。今月も私の球論にお付き合いください。

 

 平石コーチの”恩返し”

 まずはJ SPORTSで解説を務めたオリックスから述べていきましょう。

 

 ピッチャーは山本由伸(最優秀防御率)と山岡泰輔(最高勝率)と2人のタイトルホルダーがいて、打者では最後まで首位打者争いを演じた吉田正尚などイキのいい選手が揃っています。中継ぎ、抑えと試合後半に投げるピッチャーが整えば十分、上位を狙えます。

 

 ただ、ひとつ気がかりなのがチーム全体がのんびりしていることです。昨季、最下位ですからキャンプはもっとピリピリしていてほしい。巨人はリーグ優勝を果たしましたが、日本一を逃したことでキャンプ地にも緊張感があります。チームの伝統なのか、どうもオリックスは緊張感という面で物足りないですね。

 

 オリックスのように負け癖がついているチームには、起爆剤となるようなプレーヤーが必要です。しかもリーダーとしてガンガン引っ張っていくような存在が。年齢的には安達了一やT-岡田あたりがその役目を担ってもらいたのですが……。福岡ソフトバンクは伝統的にリーダーがいますよね。以前なら川﨑宗則で、今は内川聖一。投手陣にも斉藤和巳というリーダーがいました。

 

 オリックスでは新外国人のアダム・ジョーンズが注目を集めています。ジョーンズと吉田正が攻撃の中心となってチームを牽引できれば、開幕からポンポンと勝って勢いに乗ることも可能です。ジョーンズが成功する秘訣は「謙虚であること」だと思います。

 

 東北楽天のコーチ時代、一緒にプレーしたAJ(アンドリュー・ジョーンズ)はメジャーで実績のある選手でしたが、日本の野球をリスペクトしていました。巨人ならウォーレン・クロマティ、レジー・スミス、阪神ではランディ・バース。やはり結果を残した助っ人というのは「マジメ」ですよね。

 

 ジョーンズもフリーバッティングで最初の2球は目慣らしの意味もあって、バントをしている。あと球団に「自分を特別扱いしないでくれ」と言ったとも聞いています。さて当たりか、大当たりか、それとも……。助っ人がオリックスの浮沈の鍵を握っています。

 

 オリックスで取材を終えた後、ソフトバンクのキャンプ地にも行きました。出かけるときにオリックスは片付け準備をしていましたが、ソフトバンクはまだまだ主力も居残り練習をしていましたね。甲斐拓也も二塁送球の練習を繰り返していました。それを見て今年のソフトバンクも強そうだな、と思ったものです。

 

 楽天の監督からソフトバンクのコーチになった平石洋介打撃兼野手総合コーチとも話をしました。彼は楽天一筋でしたから、「鷹のユニホームも似合っているな」と言うと照れていましたけどね。

 

 平石コーチは口にこそ出しませんでしたが、古巣との対決は心に期すものがあるようです。2軍、1軍で指導者をしていた平石コーチですから、それこそ楽天選手のことは何でもお見通しです。そういえば2年前、ソフトバンクでコーチをしていた鳥越裕介、清水将海が千葉ロッテに移籍しました。ロッテが昨季、6年ぶりにソフトバンクに17勝8敗と勝ち越したのは、両コーチの手腕によるところも大きいでしょう。選手としては「お前らのことは全部わかっているからな」と言われているような感じでやりにくいものですよ。このオフに大補強を行った楽天ですが、ソフトバンク&平石コーチの前では苦戦するかもしれません。元監督の”恩返し”に注目したいですね。

 

 さて、2月11日に野村克也さんの訃報が届きました。私がプロ入りしたのは野村さんの現役晩年でしたから、野村捕手との対戦は一度だけ、巨人対西武のオープン戦でした。野村さんとアニヤン(松沼博久)のバッテリーで、アニヤンのストレートの速さに「これがプロの一流のボールか!」と度肝を抜かれたのを覚えています。私はペーペーでしたから、野村さんに囁かれるようなこともなかったですね。

 

 一番の思い出は阪神の監督時代です。地元・奈良に熱狂的な阪神ファンの友人がいて、彼が「野村監督のサインが欲しい」と私に言ってきた。それで同い年で阪神のコーチをしていた平田勝男(現阪神2軍監督)に「カツオ、監督のサインもらってくれ」と頼んだら、「お前、無理だよ。監督にそんなこと言えるわけないだろ」と。「無理無理無理」の一点張り。仕方がないので自分で阪神ベンチに行って、「野村さん、これこれこういうわけで」とサインをお願いした。カツオはそれを見ながら「お前、すごいな……」と呆れていましたが、野村さんは「おう」と快諾してくれて、立派な色紙を書いていただきました。

 

 ヤクルト監督時代の野村さんとは日本シリーズで3度対戦しました。92年は選手として、93年、97年はコーチとして戦い1勝2敗。特に92年、93年は野村さんと森祇晶さんとの対決で、まあキツネとタヌキの化かし合いではありませんが、お互いに智力を尽くしたシリーズでした。コーチとしては野村さんが相手ベンチにいると、「何をしてくるんだろう」「こっちの配球やリードがバレてはいないか」とずっとプレッシャーを感じていたものです。

 

 最後にお目にかかったのは昨年夏、東京ドームでした。野村さんは「頭は元気だけど、足が弱っててな」と車椅子に乗られていて、「病気をしたそうだが、お前も元気そうだな」と。お互いに「わざわざ来なくてもいいだろう」という顔をしてニヤッとしたものです。球界の大先輩のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

<鈴木康友(すずき・やすとも)プロフィール>
1959年7月6日、奈良県出身。天理高では大型ショートとして鳴らし甲子園に4度出場。早稲田大学への進学が内定していたが、77年秋のドラフトで巨人が5位指名。長嶋茂雄監督(当時)が直接、説得に乗り出し、その熱意に打たれてプロ入りを決意。5年目の82年から一軍に定着し、内野のユーティリティプレーヤーとして活躍。その後、西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。92年に現役引退。その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチ、07年、BCリーグ・富山の初代監督を務めた。10年~11年は埼玉西武、12年~14年は東北楽天、15年~16年は福岡ソフトバンクでコーチ。17年、四国アイランドリーグplus徳島の野手コーチを務め、独立リーグ日本一に輝いた。同年夏、血液の難病・骨髄異形成症候群と診断され、徳島を退団後に治療に専念。臍帯血移植などを受け、経過も良好。18年秋に医師から仕事の再開を許可された。18年10月から立教新座高(埼玉)の野球部臨時コーチを務める。NPBでは選手、コーチとしてリーグ優勝14回、日本一に7度輝いている。19年6月に開始したTwitter(@Yasutomo_76)も絶賛つぶやき中。2020年東京五輪の聖火ランナー(奈良県)でもある。

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