走り同様、啖呵の切り方も小気味がいい。

「2時間5分台の日本記録を出し、(東京五輪代表に)選ばれても辞退する」

 

 

 合宿先の宮崎で爆弾発言を行ったのは、男子マラソン前日本記録保持者の設楽悠太だ。

「2時間4分台で走らないと東京五輪を走る資格はない」

 

 3月1日に行われる東京五輪代表選考兼ねた東京マラソン。残り1つの座を射止めるためには、設定記録の2時間5分49秒を上回らなければならない。

 

 たとえ、設定タイムをクリアし、代表に選ばれても「辞退する」と言っているのだから、周囲はびっくりだろう。

 

「オリンピックは参加することに意義がある」

 

 一連の設楽発言はエチュルバード・タルボット司祭が口にし、ピエール・ド・クーベルタン男爵が絶賛した、この言葉の真逆である。

 

 メダルを獲る見込みのない者が参加しても仕方がない――。彼が言わんとしているのは、そういうことだ。

 

 陸連幹部の中には「余計なことを言うもんじゃない」と眉をひそめる者もいたが、退路の橋を断ち切って東京マラソンに挑む覚悟を固めた28歳は、実に見上げた根性の持ち主である。どこかの番組じゃないが、「あっぱれ!」をあげたい気分だ。

 

 しかし、過去には設楽以上の“異端児”、いや“天才”がいた。1988年ソウル、92年バルセロナと2大会連続で五輪4位入賞を果たした中山竹通である。

 

 忘れられないのはソウル五輪代表選考を兼ねた87年の福岡国際マラソンだ。

 

 ライバルの瀬古利彦が故障を理由に欠場するなか、中山は冷雨の降る福岡を、2時間8分18秒という好記録でブッチ切った。2位以下に、影すら踏まさない圧巻のレースだった。

 

 レース後、中山は歯に衣着せずに語ったものだ。

「こんな島国の中で頂点に立てない人間が、世界で勝てるわけがない」

 

 他の選手が、周囲の様子を窺うような走りをするなか、中山は時計と戦っていたのである。

 

 そう言えば中山も、ビッグマウスとして、随分メディアから叩かれた。

 

 不参加の瀬古を「這ってでも出てこい!」と挑発したとして、その言動が批判されたりもした。

 

 だが、あれは事実ではない。彼は「僕なら這ってでも出る」と言っただけなのだ。それをねじ曲げられた。

 

 現場にいた私が生き証人である。

 

<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2020年2月28日号に掲載されたものです>

 


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