スポーツ界の傷癒す特別な何か必要

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 すべてが、予想以上のスピードで動いている。

 

 欧州選手権の延期が決まった。決まったこと自体に驚きはない。ただ、決断が下された時期には驚いた。こんなにも早く! ほんのひと月前、クルーズ船に対する日本の対応を嘲笑的に眺めていた欧米のメディアが、いまや1カ月前の日本のメディア以上に右往左往している。

 

 事態がここまで悪化してしまった以上、予定通りに五輪を開催するのは不可能と言っていい。ただ、決断を引き延ばしたいIOCの思惑もわかる。一度中止を口にしてしまうと、万が一急速に終息に向かった場合に取り返しがつかなくなってしまうからだ。

 

 IOCとしては、中止か延期か、WHOの判断を重視するつもりらしいが、これもまた建前としてはよくわかる。バッハ会長はともかく、IOC委員の中には、五輪に政治や国家が必要以上に介入することを嫌う人たちも存在するだろうから。

 

 ここで開催に関して極めて重要な決断を国家や政治に渡してしまえば、今後、生殺与奪のハンドルがIOCの手を離れることになりかねない。そのWHOも、大国の息のかかった組織にしか見えないのは皮肉だが。

 

 予定通りの開催は不可能。中止という選択をとれば、今後五輪開催地として立候補する国がなくなりかねない。となると、安倍首相のいう「完全な形」での開催にするためには、延期しかない。聞くところによれば、2年後という案が有力だとか。

 

 ただ、アスリートの立場に立って考えると、この「2年延期案」、わたしはあまり賛成できない。日程の調整等、大会を運営する側にはその方がありがたいのだろうが、「東京五輪のために」と選手寿命の最後の炎を燃やしてきたベテラン勢にとっては相当に厳しい。越えなければならないハードルが調整の難しさだけならば、なんとか1年以内に収めることを考えるべきだと思う。

 

 いまはまだ想像もできないが、この巨大な禍もいつかは必ず終わる。東京五輪は、日本人だけでなく、ウイルスとの戦いを終えた世界の人々にとって、特別な意味を持つものになるだろう。終わってしまえば次の大会へ意識が飛んでしまう平常時の大会と違い、世界史に刻まれるイベントとなる。そう考えて、いまは歯をくいしばるしかない。

 

 ただひたすらに自粛が続く現在の状況は、日本国内のスポーツにも深い傷を残す。この傷を癒すためには、「通常通りの再開」では足りない。通常以上の何か、いままでになかった何かが必要になってくる。

 

 たとえば、中止になった春のセンバツ。高野連は何らかの救済策を考えるとのことだが、ここは「可哀想な球児に思い出を」ではなく、高校野球で日本社会に力を与える、ぐらいの心意気があっていい。

 

 有識者の間では、センバツ出場校に夏の出場権も与える、という案もあるそうだが、個人的には出場権を与えつつ、地方大会にも参加する、という案に惹かれる。最大で32プラス49で81チームになる可能性があるが、史上最大にして最高の甲子園になる。さらに、センバツ出場校の中で最上位に勝ち進んだチームには、春の優勝旗を授与。史上初めて、2本の優勝旗がかかった大会というのはいかがだろう。

 

<この原稿は20年3月18日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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