広島に本拠地を置く地方球団ながら、今やマツダスタジアムのみならずビジター球場でさえ、数多くのファンが詰めかけるほどの人気球団となった広島東洋カープ。平成28年から30年にかけて3連覇を成し遂げたチーム力だけではなく、球団が手がけるスポーツビジネスという観点からも、カープは平成の時代に大きな躍進を遂げた。当HP編集長の二宮清純が平成カープの歩みを振り返る。

 

<この原稿は広島アスリートマガジン2019年5月号に掲載されたものです>

 

 平成の30年間で、カープはリーグ優勝を4回果たしている。平成28年からの3連覇が光る。だが日本一は一度もない。Aクラスは12回、Bクラスは18回だ。

 

 終わり良ければ全て良し、と言いたいところだが、カープにとって平成は苦難の時代だった。平成4年から平成27年まで、24シーズンもリーグ優勝から見放された。

 

 長期低迷の最大の原因と考えられるのが平成5年オフに導入されたフリーエージェント(FA)制度である。これは一定の条件を充たした選手が自らの意思で自由に球団を選択できる権利のことである。

 

 この権利を取得した選手は必然的に好条件の球団を選ぶため、資金力に乏しいカープからは川口和久(平成7年巨人へ)、江藤智(平成12年巨人へ)、金本知憲(平成15年阪神へ)、新井貴浩(平成20年阪神へ)、黒田博樹(平成20年ドジャースへ)、高橋建(平成21年ブルージェイズ傘下へ)、大竹寛(平成26年巨人へ)、木村昇吾(平成28年西武へ)と8人もの主力選手が流出した。移籍先は3人が巨人、2人が阪神だったことでも分かるように、潤沢な資金力を誇るセ・リーグの人気球団に集中していた。

 

 FA制度の導入は、「富める球団」と「富まざる球団」の格差を決定的なものにした。むろん、カープは後者である。平成16年を例にとれば、カープの総売り上げが63億円だったのに対し、巨人は約240億円と約4倍である。親会社を持たず独立採算制を採るカープは、仮に決算報告書が赤字になった場合、他球団のように親会社から広告・宣伝費名目での損失補填を受けることができない。これにより、カープは守りの経営に徹せざるを得なくなったのだ。

 

 チームを強化するには潤沢な資金が要る。カープが長期低迷を脱する上で、最大の原動力となったのがJR広島駅東側の旧国鉄貨物ヤード跡地に建設された新市民球場(マツダスタジアム)であった。

 

(後編につづく)

 

(このコーナーは二宮清純が第1週木曜、書籍編集者・上田哲之さんが第2週木曜、フリーライター西本恵さんが第3週木曜を担当します)


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