新日本プロレスに所属するSHOとYOHの“Roppongi 3K”が海外遠征から帰国後初戦でベルト奪取したのは2017年10月だ。その余勢を駆り、同月から始まったSUPER Jr. TAG TOURNAMENT(現SUPER Jr. TAG LEAGUE)も制した。決勝戦となった11月の田口隆祐&ACH組戦では、合体型フェイスバスター“3K”でトドメを刺した。

 

 

 

 

 

 

 しかし、IWGPジュニアタッグ王座に続くタイトル獲得にもSHOは手放しで喜べなかった。

「優勝はできたのですが、今、自分でも見たくないような試合内容なんです。勝ったものの、恥ずかしくて見たくない。お客さんの反応もチャンピオンは他の選手の方が相応しいだろという感じでしたから……」

 

“まだ実力は本物じゃない”。観客の不満、SHOの不安が現実となり、Roppongi 3Kは翌年1月のタイトルマッチで敗れ、 IWGPジュニアタッグ王座から陥落した。24日後にベルトを奪還するも3月の3wayタッグマッチで再び王座を失った。19年に3度目の王座奪取を果たしたが、その後も長期政権は築けていない。

 

 Roppongi 3Kとしては数々のタイトルを獲得してきた。SHOはこの先もタッグで高みを目指したいとの想いはある。その一方で葛藤も抱えている。

「タッグのチャンピオンに4回なりましたが、1人のレスラーとして結果を残したかというと何も残せていない。毎年ジュニア(ヘビー級)のリーグ戦も決勝に行けるレベルにもなれていません。自分のレスラーとしての成長を見るとまだまだ。同じ階級のチャンピオンの高橋ヒロムと自分を比べたら今は天と地ほどの差がある。その差は闘っても、自分で試合を見ても、お客さんの反応からも分かります」  

 

 シングルマッチでベルトに挑戦したことはない。BEST OF THE SUPER Jr.(ベスト・オブ・ザ・スーパー・ジュニア)には18年と19年に2度出場したが、いずれも予選ブロックで敗退。優勝決定戦にコマを進められなかった。

 

 真実の“色”

 

 Roppongi 3Kでの活躍もあり、タッグのイメージが強いSHOだが、シングルマッチになると彼の“色”がより濃く表れる。まず見た目からして違う。Roppongi 3Kの金色から一変し、「泥臭く闘う男を魅せたい」と衣装は黒で纏める。リングコスチュームはロングタイツからショートタイツに変わり、レガースを装着するのだ。

「ベスト・オブ・ザ・スーパー・ジュニアに初めて出てから、お客さんの自分に対する見る目が変わりました。自分は初出場だったので、“コイツはシングルでどんな試合するんだろう”と。帰ってきてずっとタッグでしか試合をしていませんでしたから。初戦のドラゴン・リー(現リュウ・リー)戦はすごく印象に残っています。負けてもちろん悔しいのもあるんですが、いろいろな人から評価してもらった試合でもありました」

 

 18年のベスト・オブ・ザ・スーパー・ジュニアがSHOにとって特別なのは、初出場の大会だったからではない。2勝1敗で迎えたKUSHIDA戦は「“オレがやりたかった試合はこれだった”と思える試合でした」と振り返る。

 会場は愛知・名古屋国際会議場イベントホール。KUSHIDAは前年のベスト・オブ・ザ・スーパー・ジュニアを制しており、IWGPジュニアヘビー級のタイトルを獲得したこともあるジュニア戦線のトップを走るレスラーだ。

 

「海外遠征に行っていた頃、どうすればKUSHIDAさんに勝てるかを考えていました。KUSHIDAさんも関節技、柔術を駆使し、総合格闘技もやっていたので、自分もアメリカで柔術を学び、総合格闘技の大会に出場したんです。そのKUSHIDAさんと日本に帰ってきてから初めてのシングルマッチでした」

 2人がリング上で披露したのは、組み技中心のまるでグラップリングルールだった。「本当にロープ無しでもできたような試合」とSHO。最後はスモールパッケージドライバーの“バック・トゥ・ザ・フューチャー”に屈したが、SHOは己の持ちうる力を存分に発揮した。

 

 SHO自身、「男として1対1のタイマンで戦うのが、“やっぱりいいな”と、すごく高ぶります」とシングルマッチにこだわりを見せる。中でもベスト・オブ・ザ・スーパー・ジュニアには特別な想いを寄せる。18年のKUSHIDAとの闘いがグラウンドの攻防で観客を唸らせたとするならば、19年の鷹木信悟とはまさしく肉弾戦で沸かせた。

 

「初めて肌と肌を合わせた時、“この人スゲェ”と驚きました。“ジュニアでは絶対誰にも力負けしない”と思っていましたが、18年10月の両国国技館で対戦した時には“パワー負けするかもしれない”と感じさせられた人でした」

 パワーファイターがパワーで負けるわけにはいかない。宮城・仙台サンプラザホールで行われた試合は互いの意地がぶつかり合う25分を超える大熱戦となった。SHOは黒星を喫したものの、持ち味のパワーだけでなく巧みな関節技で鷹木を苦しめ、名勝負を生んだ。

 

 ジュニアのプライド

 

 鷹木戦は現在の入場曲(シングル戦用)を初披露したタイミングでもある。入場曲『100% Voltage』は、SHOの好きな音楽クリエイターのヒゲドライバーが作曲したものだ。SHOが今でも愛してやまない人気音楽ゲーム『Dance Dance Revolution』にも楽曲提供をしている。『100% Voltage』はSHOのリクエストで、“プロレスラーSHO”をイメージして作ってもらったという。

「自分はヒゲドライバーさんに『すぐに“SHOだ”と分かり、手拍子がしやすい曲。あとは哀愁があるものを』とお願いしたんです。全部、その通りになりました。あの人は本当に天才です。自分にはもったいないくらい良い曲で、今もトレーニング中や移動中にも聴いています」

 

 入場パフォーマンスもプロレスラーとして大事な表現のひとつ。SHOも誇りを持っている。

「入場曲も含めてプロレス。自分は引退するまでこの曲でいくつもりです。この曲と一緒に戦っていきたいと思います。せっかくこんなに良い曲を作ってもらった。いつか大きい会場で『100% Voltage』を大音量で流したい」

 

 IWGPジュニアヘビー級王座の戴冠、ベスト・オブ・ザ・スーパー・ジュニアの優勝などプロレスラーとしての“欲”は持ち続けている。

「ジュニアの頂点を狙う。ジュニアのチャンピオンとして、ヘビー級で一番強い奴とでも戦えるところを見せたい気持ちもあります。無差別級のベルトにも挑戦したい。だから今、鷹木信悟が持っているNEVERのベルトにも興味があります。このベルトができた時の大会で自分はデビューしましたから」

 

 鷹木は19年のベスト・オブ・ザ・スーパー・ジュニア準優勝後、ヘビー級のリーグ戦「G1 CLIMAX」に出場し、階級を上げた。倒したい相手ではあるが、SHOの視線の先は彼の背中だけではない。

「ヘビー戦線はもちろん考えています。でもそれは筋肉を付けて体重が100kg以上になってしまった場合ですね。もしベストの体重が100kgを超えないのであれば、それもうジュニアヘビーの選手。自分からすれば、90kgで『ヘビー級です』と言われても“何それ”という感じです。自分が考えるヘビーとジュニアの違いは体重100kgあるかないかだけ。決して強いか弱いかではないんです。だから“強いからヘビーで、弱いからジュニア”と言われるのは納得できません」

 

 身命を賭す

 

 リングには誇りと覚悟を持ち、臨んでいる。「リングの上はすごく特別です。特に新日本のリングは限られた人しか上がれない場所。そこに立てている誇りもあります」。日々の身体づくりにも気を遣っている。「勝つための近道は努力」と、食事は身体に良い物あるいは筋肉、エネルギーに変えられる物を優先する。

「お年玉を貯めてプロレスのチケットを買う子供たちもいる。自分たちからすれば年間150試合の中の1試合かもしれませんが、ファンの人たちからすれば年に1回の楽しみかもしれない。だからこそ1年中、良いコンディションで良い試合を見せなければいけないと思っています」

 

 SHOのプロとしての矜持は、こんなエピソードにも表れている。新日本プロレスに入門する直前、家族にこう伝えた。

「親父やお袋の葬式と試合が重なったら行けないかもしれない。だから今のうちに謝っておく」

 それだけの覚悟を胸に門を叩いた。毎試合、命を懸けて闘っている。怖くないと言ったら嘘になる。

 

 恐怖心に克つため、試合前にファンや親からもらったお守りを触れてパワーをもらう。中でもファンの存在は大きいという。

「幕をくぐり抜け、会場にいるお客さんを見たら、“この試合で死んでもいい”と思えるんです」

 応援はプロレスラーのガソリンであり、エンジンにもなりえるのだ。

 

“強いレスラーになりたい”。この想いは不変だが、“強さ”だけがSHOの目標ではない。

「試合に勝った時もうれしいのですが、お客さんから『モチベーションになった』という声を聞いた時は、“頑張っていて良かった”と思える。“人を動かすような人間になれた”と。自分もプロレスラーの棚橋弘至さんに心を動かされ、人生が大きく変わった1人です。プロレスには人の人生を変えられるほどの力がある。だから自分のプロレスを見て、落ち込んでいた人たちが元気になる。そんなプロレスラーになりたいんです」

 

 SHOの苦悩と葛藤は続いている。「自分という人間を、そしてプロレスラーSHOをリング上で100%表現できているかと言われたら、今はまだできていない」 。だが下は向かない。上昇志向は強いまま、ボルテージは下がらない。

「現時点ではやりがいしかないです。こんなに真剣に悩めるし、楽しい。同級生と集まっても『本当にやりたいことができているのはオマエくらいだよ。楽しそうだな』と言われます。もちろんキツイこともありますが、本当に楽しいです。この悩みも今しかできないことだと思います。青春だなと」

 

 超人を倒す“凡人”、いや“凡人”から超人への進化。それがSHOのNEXTだ――。

 

(おわり)

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SHO(しょー)プロフィール>

1989年8月27日、愛媛県宇和島市生まれ。小学4年からサッカーを始める。高校3年からレスリングに転向。徳山大学では全日本学生選手権グレコローマンスタイル84kg級3位、西日本学生選手権フリースタイル同級準優勝などの実績を残した。卒業後の12年、新日本プロレスに入門。同年11月、デビューを果たした。16年から同期のYOHと共に無期限の海外修行に出た。17年10月にYOHと帰国。新ユニット“Roppongi 3K”としてIWGPジュニアタッグ王座を奪取した。11月にはSUPER Jr. TAG LEAGUEを制覇。現在3連覇中である。今年1月にIWGPジュニアタッグ王座を奪還し、2度の防衛に成功している。身長173cm、体重93kg。

 

(文・プロフィール写真/杉浦泰介、競技写真提供/新日本プロレス)

 

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