「何あれ? すごくない!?」。5月の週末、東京・世田谷にある複合商業施設の二子玉川ライズに訪れた人たちが歩みを止め、見慣れないスラックラインという競技に惹き付けられていた。16日、国際スラックライン連盟(WSFed)公認大会である「GIBBON CUP」第1戦が二子玉川ライズで行われた。片足ほどの幅もない細いライン上で、音楽に乗りながら華麗に舞うライダーたちのパフォーマンス。立ち止まった多くの観客からは拍手が送られ、会場は大いに沸いた。


 スラックラインとは、5センチ幅のベルト状のライン上で行うスポーツである。近年はノルディックスキー・ジャンプの葛西紀明がトレーニングで用いるなど、アスリートの練習法としても知られてきている。スラックラインの種目は多種多様。綱渡りに似ており、長いライン上を歩くものが「ロングライン」、ラインの高さを競うのものが「ハイライン」と呼ぶ。水上で行えば「ウォーターライン」で、ラインを緩め、バランス感覚を競うものは「ロデオライン」となる。その中でも代表的なのが、ライン上でジャンプや宙返りなどを繰り出し、技を競う「トリックライン」だ。

「GIBBON CUP」はトリックラインの年間シリーズ大会。ライダーたちが己の技を披露し、競い合った。競技は主に1対1の試合形式。3人の審判がDifficulty(難易度)、Technique(技術点)、Diversity/Creativity(多様性・創造性)、Amplitude(高さ・幅)、Performance(演技・表現)の5項目を採点し、多数決により勝者が確定する。選手1人の持ち時間が2分。ラインに乗った段階から時計をスタートさせ、ラインから完全に落ちるまでを計測する。

 際立った第一人者のストロングポイント

 国内の開幕戦となった試合の男女の部で優勝したのは、それぞれの第一人者だった。

 男子は、日本人唯一のワールドカップ(2013年)優勝者である大杉徹が制した。トーナメント形式の本戦で順当に勝ち上がり、決勝戦では中学2年生の田中輝登と対戦した。先にパフォーマンスを実施した大杉はフロントフリップ(前方宙返り)、バックフリップ(後方宙返り)を繰り出し、観客を魅了した。ジャンプ力やダイナミックさで田中も、負けじと会場を盛り上げたが、日本スラックライン界のパイオニア的存在である大杉の引き出しの多さが際立った。

 本人もライダーとしての長所を「一番、スラックラインを経験している。いろいろなところで、いろいろなラインに乗ってきました。ハイライン、ロングライン……。トリックラインだけじゃなく色んな遊び方もしてきた。そういう意味では、経験値は人よりも高いと思います」と語る。派手な技だけでなく、時にコミカルにも映る動きを見せ、“遊び心”溢れるトリックを披露した。大杉は世界でも数少ないGIBBONインターナショナルプロアスリートのひとり。第一人者として負けられない思いがあったのかと聞くと、「プレッシャーはもうない。最近は単純に大会を楽しんでいます」と答える。その「楽しむ」というスタイルが、パフォーマンスにも表れ、ジャッジと観衆に支持された。

 女子は、大杉同様にGIBBONインターナショナルプロアスリートの福田恭巳が優勝した。こちらは決勝で岡田亜佑美と対戦し、互いのトリックの応酬で会場を沸かせた。最初に大技を仕掛けたのは、福田だ。フロントフリップをスタンドで着地を決める。「あれは去年から練習していて、秋の日本オープンで決まりはじめていたんです。私が他の人と差をつけるのは、そこかなと。技のクオリティというか、そこにしか自信がなかったので、最初にもってきて、流れを持っていきたかったんです」。ライン上にピタッと止まる完璧なトリック。ラインから降りると、福田は力強く右拳を突き上げ、アピールした。

 一方の岡田もフロントフリップをチェストバウンス(胸でライン上に着地し、跳ねる)で決めるなど、次々に技を繰り出す。1対1の対戦形式だが、互いのパフォーマンスを引き出し合うように競技は進んだ。一方がパフォーマンスを終えれば、もう一方にタッチして繋ぐ。対戦相手は、ショーの共演者でもある。福田の演技に引っ張られるように、岡田も次々にコンビネーション技を成功させ、ラストにフロントフリップをスタンドで着地を決めた。「自分では負けたかなと思った」と福田は試合が終わると、悔しそうな表情を覗かせた。

 しかし、ジャッジの判定は軍配を福田に上げた。得点は公表しないため、推測だが、恐らく判定は僅差だった。私の印象としては、福田のパフォーマンスの方が軸がブレておらず、体線の美しさが目立った。福田自身が強みに挙げる「動きのしなやかさ。ダンスやっていたこともあって、形はすごく気にします。カッコいいものにしたい。バタバタするではなく、スパッと決めるところは決める」というクオリティの部分を評価されたのではないかと思う。

 大きく広がる認知度と可能性

 スラックラインの起源は定かではないが、近年ではクライマーやエクストリーマーたちの間でロングライン、ハイラインが試されたことで広まってきたと言われている。フリースタイルのスラックラインは2007年にドイツ・シュツットガルトにあるGIBBON社が、ラインを簡単に設置できるラチェットコンセプトを開発したことで、一気にヨーロッパ中で拡大した。その波は米国や、アジアにも及んだ。

 日本で競技を広めたのは、日本スラックライン連盟(JSFed)の小倉一男理事長だ。スノーボードのメーカーに勤めていた小倉は08年11月に英国でアウトドアブランドのセールスミーティングに参加した。そこでアトラクションのひとつとして出てきたスラックラインに小倉は魅了された。翌年、そこで知り合ったGIBBON社の副社長に日本でのセールス展開を勧められ、了承した。

 小倉は10年に日本オープンを開催するなど、ルールづくりや普及啓蒙活動を行ってきた。13年12月にはJSFedを設立。近頃はメディアへの露出も増え、認知度も上がってきた。大会に出場するような競技者数は150人だが、愛好者の数は4万人を超えると見られている。6年前、テレビでスラックラインを知り、競技を始めた大杉。その頃は競技に関する情報を見つけるのにも一苦労だった。現状には「不思議な感じですね。あの時、友達とはじめたワケのわからないスポーツがこんなになるとは、思っていなかった」と、JSFedができる前から競技に親しんでいた先駆者は喜んだ。

「子ども、大人に関わらず、用途に合わせて、いろいろな使い方ができるんです。飛んだり跳ねたりするだけではない。そういった部分ももっと知ってもらえる場を増やしていきたい」という福田や大杉を始めとしたトップライダーたちは国内外で教室やイベントを積極的に行うなど、普及活動に尽力する。その甲斐もあって、徐々に全国に広がりを見せるスラックライン。長野・小布施にある浄光寺には専用のパークもできた。小倉は今後の可能性について、こう言及した。「昨今は子どもの体力低下が叫ばれている。そこで簡単なスラックラインをやることによって、体幹やインナーマッスルを鍛えることができると思っています」

 競技、トレーニング、ショーなどと様々な要素を含んでいるスラックライン。まだまだメジャーなスポーツとは言えないが、だからこそ可能性の線は幾多にも広がっている。

(文・写真/杉浦泰介)