(写真:田所総監督<中央>にとって髙橋<左>は中学、松友は高校からの教え子)

 日本バドミントン界初のオリンピック金メダルを獲得してから、ちょうど4年となる19日、快挙を成し遂げた女子ダブルスの髙橋礼華と松友美佐紀(いずれも日本ユニシス)が13年間に及んだペア解消を発表した。1学年上の髙橋が現役を退き、後輩の松友はミックダブルスに専念する。元々はシングルスプレーヤーだった2人を組ませた聖ウルスラ学院英智中学・高校の田所光男総監督にリオデジャネイロオリンピック金の“タカマツ”ペアについて訊いた。

 

――先日、髙橋礼華選手が8月いっぱいで現役を退くことを発表しました。

田所光男: 今月17日の夜に髙橋から連絡が入り、電話で話しました。その時に本人から「8月いっぱいで現役を辞めます」という報告を受けました。「ご苦労様。今まで髙橋礼華が日本バドミントン界に残してきた功績は大きい。とても感謝している」と労いの言葉を掛けました。

 

――引退の報告に対し、驚きはなかった?

田所: 私も31歳で現役を辞めましたし、彼女が年齢的(30歳)にキツイのも分かっていました。それでも髙橋は海外遠征、試合が続くタフなスケジュールをこなしていた。私としても“よく頑張ったなぁ”と思っていましたよ。今後は何をするかはまだ決めていないようですが、「自分の人生だから、責任を持って考え、進みたいと思う道に選びなさい」と話しました。

 

――髙橋選手を聖ウルスラ学院英智中学、高校と6年間指導されました。

田所: 彼女のことは小学生の時から知っていました。5年生から全国小学生大会のシングルスを連覇した優秀な選手でした。髙橋が所属していた橿原ジュニアの監督さんを通じ、ウルスラに勧誘しました。ただ小学生の頃は背が小さく、線も細かった。スマッシュ力もない。ただ彼女はフォアの面、バックの面を使い分けられるラケットワークがすごく良かったんです。それはなかなか教えてもらっても身に付くものじゃない。“これは身体ができてくればすごいプレーヤーになるな”と期待していました。

 

――最初は身体づくりの時間だったと?

田所: そうですね。元々、髙橋は腰に不安があった。身体が細い時に無理させると腰に負担がかかるので、あまり厳しい練習は課しませんでした。とはいえ彼女だけの特別メニューを組むわけではなく、皆と同じ練習をさせていました。また精神力を鍛えるために甘い言葉を掛けず、追い込んだこともあります。高校1年の終わり頃からパワーが付いてきて、2年から活躍してくれました。

 

――以前、髙橋選手たちの代を育てるのに「6カ年計画」を立てたとおっしゃっていましたね。

田所: 髙橋たちの世代は人材豊富で、同級生に強い選手もいました。彼女たちには中学で結果を残すというよりも6年かけ、インターハイ(全国高校総合体育大会)で優勝させようと考えていました。その計画通り、6年目の2008年インターハイで3冠(団体、シングルス、ダブルス)を達成することができました。結局、その年のシングルス優勝は1学年下の松友でしたが……。

 

――その6年の中で印象に残っていることは?

田所: やはり08年のインターハイですね。3年生で主将の髙橋が練習会場で足を捻挫し、団体戦に出さなかった。彼女の将来を考えれば当然のことです。しかし髙橋は、私の後ろでフットワークしたり、個人戦(ダブルス)の出場をアピールしてきました。中学、高校と決して弱音を吐かない子でしたから、本人に「痛くてどうしようもなくなったらすぐに棄権しなさい」と言い、個人戦の出場を認めました。すると1ゲームも奪われずに優勝しましたよ。

 

――2人が初めてペアを組んだのは、髙橋選手が高校2年、松友選手が1年の時です。

田所: 例年、インターハイが終わると、3年生が引退し、新チームがスタートします。06年も新人戦に向け、メンバーの中から新たにダブルスを組ませる必要があった。ダブルスを強化したい選手から選んでいくと、自然と髙橋と松友が最後の方になった。

 

 “余りもの”発言の真相

 

(写真:13年間で数々のタイトルを手にしてきた“タカマツ”ペア)

――髙橋選手は会見で「先生からは『“余りもの”だったから組ませた』と言われました」と話していました。

田所: “余りもの”というと悪く聞こえる。彼女たちに謝らないといけませんね。正確に言えば、余りものではなくダブルスとして考えていなかったということです。髙橋の同学年には全国中学校体育大会で優勝したダブルスペアがいました。2人はシングルスがメインですからダブルスを組ませる優先度は低かった。だから髙橋と松友の2人をエースダブルスにしようとしていたわけではないんです。

 

――とはいえ「強気、強気で攻める髙橋と、冷静に攻撃を組み立てる松友はピッタリ合っていた」と感じられたとも。

田所: それは組ませてみて初めてわかったこと。髙橋は1年の時に同じシングルスメインの同級生と組ませたことがありましたが、全然合わなかった。お互いに自分が打とうという意識が強く、ぶつかってしまう。ただ、ひとつ後輩の松友とは“うまく合うんじゃないか”とは思っていました。

 

――性格やプレースタイルも合っていましたか?

田所: そうですね。髙橋は“ついて来い”と引っ張っていくタイプ。一方の松友は後ろから付いていくタイプですね。実際に髙橋は妹がいるし、松友は姉がいる。息の合った良い組み合わせだったと思います。髙橋はパワーヒッターで、松友が前衛の仕事をする。昔から髙橋に気持ちよく打ってもらうパターンを確立していましたね。高校時代はシニアの大会以外では1回も負けませんでした。

 

――その後、2人は16年リオデジャネイロオリンピックで金メダルを獲得しました。決勝戦は大逆転と劇的な試合でした。

田所: 私は現地に行きました。ファイナルゲームで16-19となった時も“逆転してくれる”と信じていましたね。実際に逆転したから言えるのかもしれませんが、試合を見ている時も慌てることはありませんでした。優勝した瞬間も冷静でしたが、少しだけ涙目にはなっていたかもしれません。“よくやった”と込み上げてくるものもありましたから。

 

――今回ペアを解消することになりましたが、13年も同じ相手と組み続けた例はあまり聞きません。

田所: こんなに活躍するとは想像すらしていなかった。組ませたのは私ですが、これだけ強くなったのは本人たちの研究熱心さと努力、謙虚さだと思っています。2人とも文武両道。非常に頭の良い子で、指導者からの言葉もすぐに理解し、実行できていました。髙橋と松友は“勝ちたい”という思いが強く、そのために何をすべきかを追求していました。リオオリンピック決勝のファイナルゲームで追い込まれても慌てず逆転勝ちできたのは、本人たちが何をすべきかきちんと理解し、ブレずに実行できたからです。

 

――8月いっぱいで髙橋選手からはコートから離れますが、松友選手は今後ミックスダブルスに専念し、現役を続けます。

田所: 彼女は現在28歳、パリオリンピックは32歳で迎えます。松友は身体が大きくない。バドミントンの場合、大柄な選手の方が身体に負担がかかる。ミックスは男子選手の方が運動量を求められますし、日本ユニシスの後輩・金子祐樹選手と組むのでうまくいくんじゃないかと思っています。松友は前衛が巧いので、ミックスダブルスにも期待感が持てる。今後が楽しみですね。

 

(インタビュー構成・写真/杉浦泰介、3ショット写真提供/田所総監督)

 

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