(写真:ペアを組んだ13年を振り返り、涙あり、笑顔ありの会見となった)

 19日、日本ユニシス実業団バドミントン部に所属するリオデジャネイロオリンピック女子ダブルスの金メダリスト髙橋礼華&松友美佐紀ペアがオンライン会見を行い、聖ウルスラ学院英智高校時代から13年に及ぶペア解消を発表した。髙橋は8月いっぱいでの現役引退。松友は今後ミックスダブルスに専念することを明らかにした。

 

 リオでの歓喜からちょうど4年後。「松友」「先輩」と呼び合う2人は高校時代から13年も組んできたペアの解消を発表した。

 

 8月31日限りでの現役引退を決めた髙橋は、時折声を詰まらせながら、その想いを語った。

「リオで金メダルを獲った後、“この次どうしていくか”というモチベーションにすごく悩みました。2020年の東京オリンピックに向け、2人で頑張ってきましたが、19年に選考レースが始まってからは思うような結果も出せなかった。選考レースの中断、オリンピック延期となった時に、あと1年、この気持ちと身体が持つのかな、と。自分の素直な気持ちを松友、スタッフに伝えたところ私の意思を尊重してくれました。私1人ではここまで来ることはできなかった。関わってくれたすべての人に感謝しています」

 

 現役を去る先輩に対し、松友は「先輩のおかげでダブルスの楽しさを知った」と感謝の意を述べた。1学年下の後輩は、「どちらかと言えば女子ダブルスのため」と並行して大会に出場していたミックスダブルスに専念する。「バトミントンが好きで、“もっとうまくなりたい”と思うのは自然な感情」。同じ日本ユニシスの金子祐樹と組むミックスダブルスはBWF(世界バドミントン連盟)世界ランキングで19位に付けている。

 

 2人の出会いは小学生の頃にまで遡る。「私が初めて出場した全国ABC大会で先輩は断トツ優勝。いつか試合をしたいとは思っていたけど、まさか同じチーム、ダブルスで長い間パートナーになるとは想像していなかった」と松友は振り返った。髙橋は奈良県出身で松友の住む徳島県とは離れていたが、小学校時代には文通をするなどして交流を深めていったという。

 

(写真:報道陣から多くの質問が集まり、予定時刻をオーバーした)

 当初はシングルスプレーヤーとして競い合う存在だった。松友は髙橋に対し、「先輩は小学校の頃から、断トツに強かった。先輩に勝つことが目標でした」との思いを抱いていた。一方の髙橋も「年下には負けたくないので、松友とは、あまり当たりたくないなと思っていました」と語っていたほどである。

 

 そんな2人がチームメイトとなるのは、宮城県の聖ウルスラ学院英知高に入学してからだ。髙橋はこの中高一貫校に中学進学と同時に入学。松友は地元の中学を卒業後に進学した。初めてダブルスを組むようになったのは髙橋が2年、松友が1年の夏の終わり頃である。指導する田所光男監督(現総監督)が2人を組ませたのだった。

 

「最初は驚いた」という髙橋は、2人で歩んできた13年間をこう振り返る。

「先生からは『“余りもの”だったから組ませた』と言われました。その余りものがオリンピックで一番良い成績を取れるとは思っていなかった。松友と組んでいたから楽しいと思えたし、シングルスをやっていたり、他の人とだったら成し遂げられなかった。うれしいこと、楽しいことの方が少なかったが、2人だったから乗り越えられました。“今まで組んでくれてありがとう”と感謝の思いでいっぱいです」

 

(写真:現役を続行する松友は「まずは1年1年が勝負」と意気込む)

 松友は「13年はあっという間だった」と言い、こう続けた。

「2010年に代表入りしたばかりの頃は、世界で勝ち続けることが当たり前ではなかった。中国に勝つのは難しいと思わざるを得ないほどの実力差がありました。私たちはそこを諦めずに少しずつ成長していき、最強だった中国を倒せるようになった。先輩とじゃなければ絶対できなかったこと。そういうパートナーに出会えることがないので、本当に幸せでした。心から感謝の気持ちでいっぱいです」

 

 2人がペアを組んだ13年間で、数々の金字塔を打ち立ててきた。オリンピックのバドミントンで日本勢初の金メダル、BWF世界ランキング1位、BWFスーパーシリーズファイナルズ制覇……。今後は別々の道を歩むが、2人の成し遂げた功績が色褪せることはない。

 

(文:杉浦泰介、写真:アフロスポーツ/日本ユニシス)