ようやく本領発揮と言ったところか。
今シーズン、水戸ホーリーホックからジュビロ磐田に復帰した23歳のストライカー、小川航基である。
186cmの長身を誇り、体も強く、何より得点感覚に優れる。
9月2日第16節終了時点で7得点をマーク。J2得点ランキングでは3位タイにつける。8月は5ゴールを奪うなど絶好調だった。8月23日のホーム、ツエーゲン金沢戦で前半終了間際に右からの折り返しを丁寧に右足で合わせて先制点を奪い、後半6分にももう1点を追加して6-0大勝劇の立役者となった。
プロになってはや5年目。
2016年に神奈川・桐光学園から鳴り物入りで磐田に入団したものの、苦難の時期が続いた。1年目はリーグ戦出場なしに終わり、2年目はU-20ワールドカップに出場したものの、グループステージ第2戦のウルグアイ戦で左ひざに大ケガを負ってしまう。翌年に戦列復帰を果たしながらも、レギュラーの座を奪う活躍まではできなかった。
転機となったのは昨シーズンの水戸への移籍だろう。7ゴールを挙げ、若手中心に編成された12月のE-1選手権では香港戦でA代表初ゴールを挙げるとともにハットトリックを達成している。今シーズンは満を持してのレンタルバックであり、東京オリンピックが延期になったとはいえ彼にとっては勝負の1年になることに変わりはない。プレーの力強さと頼もしさによってジュビロの新エースになりつつある。
ひるまない心。
それは小学生のころから。体と心を鍛えるために朝5時に起きて自宅近くにある神社の階段をダッシュしたエピソードは有名だ。Jクラブの育成組織に合格できず、「オレ何やってんだ!」と悔しい気持ちをバネにした。
高校時代もそうだった。桐光学園では1年生の高校選手権で活躍できず、2年生ではケガに苦しんだ。それがのちの成長を呼び込んでいる。
昨年2月にインタビューした際、彼は自分を「雑草」と表現した。
「周りにも『お前は泥水を飲んできたよな』みたいに言われます。トレセン(地域の選抜トレーニング)にもまったく引っ掛からなかった選手がこうやってプロになれたわけですから」
U-20ワールドカップでの大ケガは、さすがにくじけそうになったという。選手生命を揺るがしかねない左ひざ前十字靭帯断裂及び半月板損傷。長期離脱を強いられ、つらいリハビリに取り組まなければならなかった。
リハビリはJISS(国立スポーツ科学センター)で行なわれた。そこにはケガからの復帰を目指す多くのアスリートがいた。
小川はこのように語っている。
「サッカー、バレー、スキーの選手……。僕よりもっと大変なケガをしている人もいましたけど、みんな笑顔でリハビリをしていて、“メンタル強いな”って感じました。落ち込んでいる暇はなかったし、“自分も頑張らなきゃ”って思うことができました」
長くてつらいリハビリを前向きに。
次の成長に必要なものを得るための時間としたことが、今シーズンの活躍につながっているのだと思えてならない。
勝利に結びつけるゴールを重ねてこそ、誰もが認めるエースとなる。そして視線の先には来年の東京オリンピックがある。
インタビューした際の言葉が忘れられない。
「『あのケガがあったからこそ』って言えるときが、必ず来ると信じています」
ジュビロのために、自分の未来のために、小川航基は結果にこだわる。
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