元日本代表DF、鹿島アントラーズの内田篤人が8月23日、ホームのガンバ大阪戦を最後にユニホームを脱いだ。

 

 

 このゲーム、内田の出番は前半16分。DF広瀬陸斗が試合中に右太ももを痛め、緊急出場した。

 

 試合終了間際の同点ゴールは、内田のサイドチェンジが呼び水となった。G大阪の宮本恒靖監督は「今日のパフォーマンスでの引退はもったいない」と残念がった。

 

 まだ32歳。カテゴリーを下げれば、スタメンで出られるのではないか、との見方もある。

「いや、カテゴリーを下げてまでやるつもりはない。鹿島の選手としてけじめをつけたい」

 

 カズこと三浦知良(横浜FC)のように53歳になっても現役を続けている選手もいる。円熟の味が出てくるのは、これからだろう。

 

「仲間は練習を100%でやっている。(練習や試合で)その隣に立つのは失礼」

 

 内田には内田なりの美学があるようだ。

 

 2015年3月、当時ドイツ・ブンデスリーガ1部のシャルケ04でプレーしていた内田はホッフェンハイム戦で右膝蓋腱を負傷し、その3カ月後に手術した。

 

 公式戦に復帰したのは、16年12月。リハビリは1年9カ月にも及んだ。

 

 本人は語っている。

「手術後のブランクが一番響いた。運動能力が落ちたな、と。走る、止まる、ターンする。(サッカーにおける)基本的な能力がガクンと落ちた」

 

 サイドバックはポジション的に豊富な運動量が要求される。後方から一気に駆け上がるにはスピード、スプリント、タフネスが求められる。それを何度も繰り返さなくてはならない。

 

 加えてクロスの精度、パスを交換する足元のテクニックも。右膝蓋腱の負傷により、内田は自らが思い描くサイドバックとしてのあるべき姿から遠ざかっていく寂しさを、ずっと抱きながらプレーしていたに違いない。

 

 名門・清水東高校時代からアンダーカテゴリー別の日本代表に選出されるなど将来を嘱望された内田が、高校卒業後に選んだクラブは鹿島だった。

 

 その理由を鹿島OBのDF大野俊三はこう語る。

「鹿島はサイドバックに対する要求がどのクラブよりも高い。中盤の選手からはタメを作っている間の攻め上がるタイミングについて叱責される。また守備面ではセンターバックの選手からマークの受け渡しや背後のスペースのフォロー、内側に絞る動きに至るまで細かく指示される。鹿島は伝統的に4バックを採用していることもあり、サイドバックに対する要求水準はどのクラブよりも高い」

 

 サッカー選手として最高の舞台であるW杯には10年南アフリカ大会、14年ブラジル大会と2大会に選出された。南アフリカ大会では出場機会を得られず、ブラジル大会は3試合全てに出場したものの、予選リーグ敗退に終わった。

 

 本人が語るように「谷あり谷あり」のサッカー人生だった。いつか指導者として「山」を目指してもらいたい。

 

<この原稿は『サンデー毎日』2020年9月20日号に掲載されたものです>

 


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