皆さん、こんにちは。鈴木康友です。入場人数制限下で行われている各地のプロ野球ですが、セ・リーグとパ・リーグでペナントレースの熱気の差が大きくなっています。今回はそんなセ、パの終盤の争いについてお話しましょう。

 

 左打者をズラリ

 セ・リーグは巨人が23日、本拠地の広島戦で7対3と快勝し、優勝へのマジックナンバーを28に減らしました。これで2位・阪神には11.5ゲーム、3位・横浜DeNAには13ゲーム差です。残り約40試合、クライマックスシリーズのない今季のセ・リーグはこのまま消化試合の様相を呈していくような気がします。

 

 まあマジックナンバーというのは20ちょっと、展開によっては一桁までは、ついたり消えたりするものというのが私の経験です。よく言っていたのが「マジックは最初のうちは水性や、よう消えるぞ」と。それが10とかになると「油性」になって消えなくなる、と。今季の巨人のマジックはもう「油性」のようですが、阪神、DeNA、そしてここのところ調子を上げている中日など、残り3分の1のシーズンで少しでも意地を見せてもらいたいですね。

 

 今季、巨人が強いは当然とも思えます。首位を走りながら、開幕してから積極的にトレードを行いました。楽天からゼラス・ウィーラーと高梨雄平を獲得し、先日は不調に苦しんでいた澤村拓一を千葉ロッテに放出という荒療治も行いました。

 

 高梨はクローザーとして活躍しているし、ロッテに行った澤村も結果を残しています。ロッテにはぜひ日本シリーズに出てきてもらって、澤村が原巨人を相手に"恩返し"する場面を見てみたいですね。

 

 巨人といえば16日の阪神戦で面白いことがありました。阪神の先発・青柳晃洋に対し、原辰徳監督は左打者ばかりをずらりと並べました。この日は坂本勇人、岡本和真が休養し、飛車角落ちの打線ですから、アンダーに近いクオータースローの右変則・青柳への思い切った対抗策として組んだのでしょう。これがズバリとハマり、5点を奪い、青柳を5回途中でノックアウト。巨人が快勝しました(スコアは7対6)。

 

 思い出したのが私がコーチを務めていた楽天時代の埼玉西武戦(12年5月1日・西武ドーム)です。右アンダースロー牧田和久に対し、左打者を並べましょうと星野さんへ進言したところ、星野さんもそれに乗ってくれて、左打者を8人並べました。スイッチの(松井)稼頭央、内村賢介を含め伊志嶺忠、銀次など。右は嶋くらいだったんじゃないですか。そしたらこれがドンピシャとハマって、左打者で計11安打、牧田を攻略し快勝しました(スコアは4対3)。

 

 右アンダースローでも牧田や青柳は、シンカーなど右打者に対しゴロを打たせるボールが有効なタイプ。だから左打者相手だと攻めにくいんでしょう。翌日、練習中の牧田に「どうや、投げづらかったか?」と声をかけたんですよ。そうしたら「僕はいいんですけど、キャッチャー(炭谷銀仁朗)がリードしにくいって、パニクってましたね」と教えてくれました。キャッチャーは裏をかくのが商売のポジションですが、同じような左打者が続くとやりにくかったんでしょうね。まあ、今思い出してもしてやったりです。

 

 で、実はこの「牧田対策」は女房の言葉がヒントになったんですよ。あるとき家でテレビを見ていたら「この牧田って人、なんか左バッターには投げにくそうね」って。それが頭に残っていたんで、星野さんに提案したわけです。星野さんは試合後、「今日は康友のおかげで勝たせてもらったわ」と手柄を自分のものにしませんでした。なので、私もここで正直に「女房発案」と付け加えておきます(笑)。

 

 オリ新監督は清原?

 さて、パ・リーグに話を移せば、首位・福岡ソフトバンクを追う2位ロッテ、3位・東北楽天がまだまだシーズンをかき回してくれそうです。

 

 ロッテは澤村を取り、そして楽天は広島からDJ・ジョンソンを金銭トレードで獲得しました。この積極的な補強に現場、そしてフロントの本気度がうかがえます。戦力が不足していたら補うのが当然ですが、今の順位はそれを物語っているといえるでしょう。

 

 熱パの中、取り残されているのがオリックスです。西村徳文監督が"辞任要求を受け入れ"て実質的に解任されましたが、この10年で何回目の監督交代劇ですかね。オリックスといえば90年代には仰木彬監督の下、イチローの活躍もあり、パ・リーグを代表するチームでしたが、今はその面影もありません。やはり監督がころころ代わるとボスに対する求心力はもちろん、チームの一体感も育たないと感じます。

 

 仰木さんや星野さんのような個人のキャラクターもありますが、それでも1年やそこらで指揮官が代わっていては、チームがまとまるのは難しい。

 

 強いチームと弱いチーム差がどこに出るのか? それは負けた試合の後です。弱いチームはロッカールームや移動のバスで「明日、明日」という声があがります。切り替え上手といえばそうなんですが、なんか雰囲気がヌルい。強いチームの負け試合後はシーンとしていますよ。巨人や黄金期の西武がまさにそうでした。敗戦の悔しさを噛み締め、チームの空気がピーンと張り詰めている。それがグラウンドでの強さにつながり、チームの結束力を生んだんだと思います。

 

 オリックスには影響力のある指揮官が就任し、選手が「この監督のためなら」とひとつになる。そんな監督人事を期待したいものです。太田椋、西浦颯大、中川圭太など、才能ある若手がいっぱいいるんですから今の位置、チーム状況はもったいないですよ。そういえば生前、星野さんが言ってました。「オリックスはワシに監督やらせてみい。ええ選手がいっぱいおるのに、もったいない」と。適任者は阪急OBまで枠を広げてもなかなか見当たらない現状ですが、清原和博はどうですか。オリックスOBでもあるし、話題性もあり、カリスマ性もある。黄金期西武の一員だし、そんなサプライズも期待してしまいます。

 

 さて、最後に。ダイエー時代からホークスでコンディショニング担当を務めていた川村隆史さんが15日に亡くなられました。55歳でした。私も15年、16年とソフトバンクのコーチ時代にご一緒しましたが、あれほど選手のことを考えていた方はいないでしょう。1軍ではベテランを含め飽きさせないようにメニューを工夫し、2軍は育てるために厳しく接し、3軍では楽しくトレーニングをができるようにいつも頭を絞っていました。私が現役のころのトレーニングコーチといえば「おらぁ、走れ、走れ!」と鬼軍曹みたいな方ばかりだったので、時代は変わったもんだな、と。

 

 川村さんの追悼ゲームとなった17日の北海道日本ハム戦、東浜巨が8回0封で勝利。ナイスゲームを故人に届けたホークスナインに拍手を送ります。また川村さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

 

<鈴木康友(すずき・やすとも)プロフィール>
1959年7月6日、奈良県出身。天理高では大型ショートとして鳴らし甲子園に4度出場。早稲田大学への進学が内定していたが、77年秋のドラフトで巨人が5位指名。長嶋茂雄監督(当時)が直接、説得に乗り出し、その熱意に打たれてプロ入りを決意。5年目の82年から一軍に定着し、内野のユーティリティプレーヤーとして活躍。その後、西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。92年に現役引退。その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチ、07年、BCリーグ・富山の初代監督を務めた。10年~11年は埼玉西武、12年~14年は東北楽天、15年~16年は福岡ソフトバンクでコーチ。17年、四国アイランドリーグplus徳島の野手コーチを務め、独立リーグ日本一に輝いた。同年夏、血液の難病・骨髄異形成症候群と診断され、徳島を退団後に治療に専念。臍帯血移植などを受け、経過も良好。18年秋に医師から仕事の再開を許可された。18年10月から立教新座高(埼玉)の野球部臨時コーチを務める。NPBでは選手、コーチとしてリーグ優勝14回、日本一に7度輝いている。19年6月に開始したTwitter(@Yasutomo_76)も絶賛つぶやき中。2020年東京五輪(1年延期)の聖火ランナー(奈良県)でもある。


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