清原和博、立浪和義、宮本慎也、松井稼頭央――。4人の2000本安打達成者をはじめ、桑田真澄、野村弘樹、片岡篤史、今岡誠、福留孝介らプロで活躍した多くの人材を育てたのが、元PL学園高監督の中村順司だ。彼らがプロで成功できた理由はどこにあるのか。現在は母校の名古屋商科大を率い、指導者生活を続ける69歳に二宮清純が話を訊いた。
(写真:「子どもたちには基本的な体の使い方を習得してほしい」と語る中村監督)
二宮: PL学園の監督を務めた18年間で大学、社会人を経た選手も含めれば、毎学年、ひとり以上、プロに送り出しています。素質のある選手をどのように集めたのでしょうか。
中村: 僕はPL時代、自分からは選手を集めていないんです。コーチをしている時、「いい選手がいるから」と見に行って、実際に入学してもらっても、寮生活の中では力が発揮できない子もいました。自分自身で声をかけた子となると、どうしても監督としては気にかけてしまう。すると、子どもたちの中でもぎくしゃくしたものが出てきてしまいますよね。だから、僕が監督になってからは、入ってきた子を全員、一律に指導するかたちをとったんです。

二宮: 先入観を持たず、フラットに新入生の力量を見極めると?
中村: 僕は1年生は最初の1カ月間、別メニューで練習をさせました。それは冬の間に下半身強化をして、春になって実戦経験も積んだ2、3年生の中に1年生をポンと入れても体力や練習量が違うからです。一緒に練習をやらせたら、1年生は無理をしてしまう。1年生は別にして同じようにスタートを切らせた方がスムーズに高校野球の環境に入れるんです。ランニングやキャッチボール、ボール拾いをしてもらいながら、まずは高校生活に慣れてもらう。それから2、3年生と一緒にやらせた方が、1年生の持っている力を発揮しやすいのではないかと考えていました。

二宮: 上のレベルでも通用する選手を育てるには、どのような指導を心がけたのでしょう。
中村: 僕が選手たちによく言ったのは、「キャッチボールだけはしっかり身につけろ」。キャッチボールは、我々の日常会話と同じように、相手に対して自分の気持ちを伝える行為です。と同時に、相手の気持ちを受け止めてやる行為でもある。だから、グラウンドでのキャッチボールを大事にすることは、日常生活でのコミュニケーションを大事にすることにもつながります。それを意識したら、相手の捕りやすいボールを投げることを考えるでしょう。たとえば右投げだったら、相手の左肩を目がけて放る。そういうことを徹底していました。

二宮: 基本中の基本をおろそかにしないということですね。
中村: キャッチボールができたら、大学、社会人、プロに行っても、試合に出場するチャンスはあるんです。キャッチボールができないと、いくらバッティングが良くてベンチに入っても試合には出られない。宮本慎也だって最初は守るだけだったのが、プロに行ってバントができるようになり、チームバッティングができるようになり、最終的には2000本安打を打ちましたよね。彼はきちんとしたキャッチボールを身につけていたからこそ、プロで成長していったわけです。

二宮: 確かに中村さんの教え子で成功した選手は、守備がしっかりしていましたね。清原、立浪もバッティングだけでなく、守りにも定評がありました。
中村: 清原は捕球、送球は上手でしたよ。それから、いろんな選手のスタイルや練習を参考にさせましたね。僕は九州の生まれだったので、選手だった時には西鉄ライオンズの中西太さん、大下弘さん、高倉照幸さんといった個性的な選手のものまねをしていたんです。特に仰木彬さんとは同郷(福岡県中間市)で華麗な守備には憧れていましたよ。

二宮: 学ぶという言葉は「まねぶ」、すなわち「まね」からきていると言われます。お手本になるものを見て、まねて学ばせると?
中村: PLでは(近鉄の本拠地だった)藤井寺球場が近かったので、試合前のバッティング練習を見せてもらったりして、プロの選手がどんなことをしているのかを見せましたね。野球以外のスポーツも見に行きましたよ。吉村(禎章)がいた時には、大阪場所で来ていた佐渡ケ嶽部屋の稽古を見学に行きました。「オマエらと同じ年代の人間が、こんな朝早くからハードなぶつかり稽古をしているんだぞ」ということを知ってほしかったんです。

二宮: 野球だけでなく、他競技からもヒントを得ようとしていたわけですね。
中村: 子どもたちは小さい頃から野球しかしていないですから、他の競技を見せることも勉強になるんです。清原、桑田の時代には、女子バレーのユニチカの練習を見に行かせましたよ。女子選手が監督やコーチから強烈なスパイクを浴びせられて、レシーブ練習をしている。彼女たちが厳しい練習をしている様子は彼らにとって、いい刺激になったはずです。

二宮: そういった良いものを貪欲に取り入れる中村さんの姿勢が教え子たちにも受け継がれたのでしょう。
中村: 僕のPL監督時代の選手は、39人がプロに行きました。コーチ時代も含めれば、西田真二や木戸克彦や、金石昭人、小早川毅彦とか、さらに増えます。でも、彼らに一番伝えていたのは、個人プレーではなく、チームのために何をするか。その心構えなんです。勝負である以上、勝ち負けや打った、打たれたはありますが、相手をヤジったりしない。そういったマナーも非常に大切だと思っていました。清原なんかは、相手チームの選手がヒットを打って一塁ベースに到達したら、「ナイスバッティング」と声をかけていたそうです。僕は、その話を後から聞いて非常にうれしかったですね。お互いが相手を尊重し、爽やかな闘いを繰り広げるところに野球の良さがあるのではないでしょうか。

<現在発売中の『第三文明』2015年9月号でも、中村順司さんのインタビューが掲載されています。こちらもぜひご覧ください>