メンバーすべてが欧州でプレーする選手で構成される今月のオランダ遠征に、ロストフ(ロシア)の橋本とパルチザン(セルビア)の浅野が招集されないことが決まった。

 

 どちらも国内リーグでは絶好調。にもかかわらず声がかからなかった…もとい、かけられなかったのは、開催国オランダがセルビアとロシアからの入国を制限しているからだとか。なるほど、これが20年10月現在におけるオランダの現実なわけね。

 

 さて、まだまだ通常運転にはほど遠いものの、世界中でスポーツが少しずつ動き始めている。日本のプロ野球やJリーグでも、以前より大きな歓声がスタジアムに響くようになってきた。

 

 ただ、主催者側は極薄な氷の上を歩いている気分だろう。

 

 もし、自分たちがやっている興行からコロナが拡大してしまったら。自分たちがパンデミックの引き金を引く形になってしまったら。

 

 燃え上がる世論の怒りが自分たちに向けられるのは確実。では、巨大なリスクがあることを知りながら、なぜ多くのスポーツ団体は再開、開催に踏み切ったのか。

 

 世論、だと思う。

 

 簡単に言ってしまえば、開催を望む声が反対する声を圧倒しているか否か。コロナにかかるリスクよりも、スポーツを楽しむ喜びを選ぶという声が多数派かどうか。「よし、開催賛成派の方がだいぶ多い」という手応えがあったからこそ、彼らはゴーサインを出せたのではないか。

 

 運営する側からすれば、開催ができなければ入ってくる収入もない。本音でいけば、自分たちのためにも、選手のためにも、何としても大会は開きたい。ただ、そこで世論を読み間違えると、3月に大会を開催し、世間から袋叩きにあったK-1と同じ轍を踏んでしまう。

 

 だから、NPBも、Jリーグも、高校サッカーも、Bリーグも、箱根駅伝も、世論がどれだけ自分たちのイベントを心待ちにしてくれているかを、徹底的に、それこそ神経質なまでにリサーチしたはずなのだ。

 

 というか、そこまでしなくては、スポーツのイベントなど開催できないという状況にいまはある。

 

 なので、ひっかかる。

 

 7年前の9月7日、当時のIOC会長だったロゲさんが「トキオ!」と読み上げたとき、わたしは狂喜した。延期が決まったときは心底がっかりした。何が何でも東京で五輪を見たいという気持ちに変わりはない。これ、大前提。

 

 でも、わたしのような人間って、いまでも多数派なんだろうか。

 

 多数派であるならば何の問題もない。いまは閉めている門戸を開き、コロナ禍が猛威を振るっている国々から人がやってくるリスクも、五輪を生で見る喜びには代えられない、という意見が多数派なのであれば。

 

 驚くのは、すべてのスポーツ団体が極度に意識したであろう民意を推し量ろうとする気配が、IOCから、JOCから、組織委員会から、不思議なぐらい伝わってこないこと。薄氷の上を歩いている感が、まるでないこと。

 

 先日、バッハ会長は自信満々に来年の開催を公言した。はて、オランダってあなたの国のお隣ですよね。

 

<この原稿は20年10月2日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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